明け方まで油絵に熱中してしまったので、お風呂を済ませて寝たのはもうすっかり朝になってから。一度は正午ちょっと前に目が覚めたんだけど、そのままベッドの中でウダウダしていたら再び眠りに落ちてしまった。この二度めの眠りも1~2時間では済まず、16時近くまで寝てしまうという…。規則正しい生活は夢のまた夢。
そんな今日も、何時であれ起きたらまずはウィーン国立歌劇場の配信を観る。ドビュッシーの「ペレアスとメリザンド」は、音楽祭での上演を何度かテレビで観たことがあるものの、なんだかよく分からないまま終わってしまったという記憶しかなかった。
今回は、もうすっかりおなじみのアドリアン・エレートのペレアスに、オルガ・ベズメルトナのメリザンド、いつ観ても渋くてカッコいいサイモン・キーンリーサイドのゴロー(フランス語では Golaud)、フランツ=ヨーゼフ・ぜーリヒの老王アルケル、ベルナルダ・フィンクのジュヌヴィエーヴ、マリア・ナザロヴァのイニョルドという配役で、しっかりじっくり観たんだけど、やっぱりなんとも抽象的。
原作についてネットで調べたら、原作に忠実な上演で、要は原作も抽象的なのね。ゴローが森で出会い妻にしたメリザンドは、自分は遠くから来た、冠を落としてしまった(=冠を被るような身分)などと断片的に語るものの、その素性は最後まで明らかにされない。ゴローの異父弟であるペレアスと親密になりキスを交わしていながら罪の意識はまったくなく、それがゴローを苦しめ、とうとうペレアスを殺してしまう。その際にメリザンドも傷を負い、医師は「小鳥でも死なないような傷」と診断したのに死んでしまう。このメリザンドという女性がなんともとらえどころがないのよね。
舞台上には大きな水槽があり、森の場面では川になり、城の場面では堀になる。また、白いボートが時には裏返した状態でベッドになったり、踏み台になったり、メリザンドが塔の上で髪を梳かし、窓から下に垂らした髪にペレアスがふれて陶然となるラプンツェルのような場面では塔の代わりになったりもし、最後には息絶えたメリザンドを乗せて夕陽の中に消えていく。また、開幕前や幕間の舞台上にはスクリーンで一面に青く揺れる水面が映し出され、本水を使った舞台装置と呼応して象徴的。そのままパソコンのスクリーンセイバーにしたいぐらい、リラクゼーション効果がありそうな映像だった。
一気に観終えたのは21時すぎ。夕方まで寝てしまったからといってまた寝る時間を遅らせるとますますずれ込むばかりだから、早めにベッドに入ろうかなぁ、と考えているところへ、けたたましい音。その直後にグラッと揺れた。スマホの緊急地震速報。
こんな直前に鳴ってもなんの準備もできないし、揺れれば地震って分かるんだから意味なくない? ビックリしすぎて心臓に悪いので、音量を小さくする方法はないのか調べてみたら、デフォルトだと「最大音量を使用する」がオンになっているのね。これをオフにしたから、次回以降は少しは小さな音になるはず。
震源地は千葉で、このあたりの震度は2だったそうだけれど、もっと大きな揺れに感じた。こんな時期だけに、ますます不安になるよねぇ。