まるぶろぐ

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カルメル会修道女の対話

ランチを済ませ、木挽町広場のタリーズで時間調整をしてから東劇へ。14時半からメトロポリタン・オペラのライブビューイング、今シーズン最後のプーランクカルメル会修道女の対話」。

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めったに上演されない地味な作品という認識だったのだけれど、心理的インパクトがものすごく強くて、最後はもう涙が止まらなかった。

フランス革命期の恐怖政治のもと、反カトリック政策の犠牲となって修道女たちが処刑された史実に基づく作品。ウィーン国立歌劇場の「ダントンの死」をOTTAVA.TVで観たときにも、革命という大義名分をかざした狂気と暴力でしかないという印象を抱いたのだけれど、ダントンは実際に反主流派として活動していたわけだからその処刑には理由があるとも言えるのに対し、革命政府が修道女たちに突きつけた処刑の理由は単なるこじつけにしか聞こえず、彼女たちが何をしたっていうのよー、と憤りさえ感じて、フランス革命ってひどすぎない? なんてことまで思ってしまった。

処刑の場面は、史実のとおりギロチン台を使って描かれることが多いようだけれど、今回の演出では銃殺で、修道女たちがひとりひとり、暴徒と化した民衆に囲まれる中、自ら歩いて刑場に向かい、姿が消える都度、音楽に混じって銃声が鳴り響く(後日の追記:どうやら私の勘違いで、私には銃声に聞こえたんだけど、ギロチン台の音だったらしい。私の耳、大丈夫か???)。この場面、「元禄忠臣蔵」の「大石最後の一日」で、仇討ちを果たした赤穂浪士たちが切腹を命じられ、ひとりずつ花道に消えていくのと重なった。彼らは思いを遂げて晴れ晴れと死に向かうのだから、修道女たちとはまったく違うのだけれど。

そんな凄惨な悲劇として終わるこの作品、冒頭には、30年以上も神に仕えてきた修道院長が病苦に苛まれ、神に対する呪いの言葉さえ口にして、錯乱の末「死の恐怖!」と叫んで死んでいく。この修道院長を演じたカリタ・マッティラの鬼気迫る演技が素晴らしかった。

結果的にひとりだけ処刑を免れた副修道院長に対し、それが神の意思だと司祭が諭す場面があり、実際にこの生き残ったひとりが処刑の経緯を書き遺し、史実として伝える役割を担った点も、忠臣蔵寺坂吉右衛門と同じなのよねぇ。

主人公は革命の嵐の中で敵対視されていた貴族の娘で、様々に苦悩しながら、最後には、自分は処刑の宣告を受けていないのに、自ら処刑の列に連なっていく。演じたのはイザベル・レナート。美しかった。

いろんな意味でインパクトがものすごく強かったこの作品、演出が異なる他のプロダクションも観てみたいなぁ。

今シーズンはこれで終わりなのが寂しいけれど、来シーズンのラインアップがすでに発表されていて、まだ観たことがない作品がいくつかあるので楽しみ。