まるぶろぐ

備忘録として日々の出来事をこまごまと綴っております

maru992016-05-23

どんなに仕事が忙しくなっても、事前にチケットを取っていた「観る」や「聴く」のイベントは別。もっとも、忙しいとどうしても睡眠時間を削らざるを得ないので、寝落ちが心配だけれども…。

ということで、まずは歌舞伎座の昼の部。今月のチケットは、明治座の日にカフェでスマフォで予約の手続をしようとしてうまくいかずに手間取った結果、昼夜とも最前列が取れずに2列めなので、万が一、寝落ちしたとしてもちょっと気が楽。いやいや、寝ないように頑張らねば、と気合を入れて臨む。

最近は、通し上演でないことだけを確認したら、どんな演目をやるのかは詳しく調べずに、当日、幕が開いた時に、道具や鳴物で演目を当てることを個人的に小さな楽しみにしていて、今日もそのつもりでいたのだけれど、最初の幕が開いてもまったく分からず、話の流れで、これはきっとまだ観たことがない「鵺退治」という芝居に違いない、と判断。あとで調べたら、実に54年ぶりの上演という珍しい演目だった。

鵺というのは、猿の顔、狸の胴体、虎の手足に尾は蛇の妖怪ということになっていて、その障りで帝が重い病に罹っているため退治することになるのだけれど、いざ屋根の上に現れた鵺の姿に、思わず吹き出してしまった。だって、可愛らしすぎるんだもの。同じように屋根の上に蝦蟇が出てくる演目もあって、結構おどろおどろしい大きな装置が使われることが多いのに、今回の鵺は着ぐるみで、しかも、もふもふ。胴体は狸を意識しすぎたのか、でべそまでついてる。せめて四足ならもうちょっと雰囲気が出そうなのに、二足歩行でキキキーッと鳴くから、妖怪退治というよりは、動物園から逃げ出したちょっと大きな猿を捕まえようとしているような…。確かに尾は蛇なんだけど、その蛇がまたカラフルすぎてオモチャみたい。いやぁ、ある意味、衝撃的なビジュアルであった。

松緑の武部源蔵に梅枝の妻戸浪、海老蔵の松王丸に菊之助の妻千代という若手揃いの「寺子屋」。4人とももう父親だから、もっと若い頃に演じた時に比べ、こういう子供の命がかかる芝居は特に、単に年齢だけではない思いの強さを感じる。首実検の場で、松王丸が自分で首桶を開けるのでなく、逡巡する様子に焦れて玄蕃が首を突きつけるのが成田屋の型。久しぶりに観ることができて、新鮮だった。このやり方だと松王丸の腹が割れすぎるという批判もあるのだけれど、観る側にしたらもともとどうなるかよく分かって観ているわけだから、いろんな型があっていいと思う。ベテラン勢による重厚な寺子屋とまた違い、それぞれの役の実年齢により近い配役なので、リアルでもある。

十六夜清心」も久しぶり。最後に観たのは約7年前で、その時に菊五郎が演じた清心を菊之助が引き継ぐ。慣例にならい「團菊祭」と銘打ってはいるものの、團十郎不在の今、夜の部では菊之助の長男が初お目見得で、音羽屋の継承という印象が濃い。十六夜時蔵で、その十六夜を助ける白蓮を左團次さん♪

「楼門五山桐」は、吉右衛門石川五右衛門菊五郎の真柴久吉。最後に二人の重鎮がビシッと締める。短い幕ながら、満開な桜の中に朱塗りの楼閣という華やかな舞台に、さすがの存在感。

急いで帰らなきゃ、とまっすぐ帰宅。さて、仕事、とパソコンに向かおうとしたところで電話が鳴った。前からたまに仕事を受けている会社の初めての方からで、別の部署から紹介されたという。依頼の内容は、100ページぐらいある契約書…。思わず絶句。1ページ当たりの分量が分からないと判断ができないので、サンプルをメールで送ってもらい、一応の見積りと、それだけのページ数になると、あちこちから急ぎの依頼が立て込んでいる状況で、1件だけに専念するのは難しく、継続的な案件は優先せざるを得ないこともあり、かなりの日数がかかることを伝える。ぶっちゃけ受注には消極的なのだけれど、ハッキリとそうは言えないものだから、暗に牽制するような… (^^ゞ

和訳の続き。途中で全仏オープンが始まったけど耳だけで、午前1時すぎまで頑張って、82ページまで終わらせた。あとひと息! その間に、大坂なおみがオスタペンコに勝ち、ダニエル太郎も2セットダウンから挽回してクーリザンに勝利。そして圭くんも、雨で延期になったボレッリ戦を制した。みんなおめでとう!