ライブビューイングを観る前にはスタバの東銀座店で、後には北千住駅構内のスタバに場所を移し、読書タイム。
メモを取りながら読み続けてきた鴻巣友季子著「明治大正 翻訳ワンダーランド」を読み終えた。
面白い点がいっぱいあった中でも、読み終えたばかりの今特に印象に残っているのは、ピーター・シェイファーの戯曲「アマデウス」を日本で初めて和訳したのは俳優の江守徹さんだそうで、彼がインタビューで次のように語っていること。まず、英語の台詞では子音が消え入るように終わる語尾が美しいのに対し、日本語ではすべての音に母音がついてくるので、訳文で英語の音を再現することができない。また、子音では声帯を使うことがなく、英語の台詞と日本語の台詞とでは声帯が震える回数が格段に違い、芝居は人の身体を使ってするものだから、声帯が震える回数がそんなに違っていては、演劇的表現として等しいものになりえるか疑問であると。役者ならではの視点。
この母音の問題は、先日、新国立劇場で日本語のオペラ「紫苑物語」を観たときに強く感じた違和感に通じる。すべての音に母音がついてくることで、複数の歌手がそれぞれに異なる歌詞で一斉に歌う重唱の際に、異なる母音がぶつかり合って、美しい響き合いの邪魔をしているように感じた。音楽的じゃないのよね。
翻訳って、やっぱり面白いなぁ、と再認識できたのも、この本を読んで良かったことのひとつかな (^^)