まるぶろぐ

備忘録として日々の出来事をこまごまと綴っております

maru992018-01-21

昨日の「聴く」に続き、今日からしばらく「観る」イベントが続く。もう1月も下旬だというのにまだ仕事始めに至らず、遊んでばっかり…。でもサボっているわけじゃなく、お声掛かりがないんだから仕方がない (^^ゞ

しっかり寝ていくつもりが6時すぎにパッチリと目が覚めてしまい、どうにも二度寝ができそうにないので起床。日記のアップをしてから、早すぎるぐらいの時間に家を出て、北千住のスタバで図書館で借りてきた「悲嘆の門」を読みふける。最初からいきなり面白い。

時間を見計らって東銀座へ。今日は新橋演舞場の「初春歌舞伎公演」AプロとBプロを通しで。

まずAプロは「天竺徳兵衛韓噺(てんじくとくべえいこくばなし)」で始まり、徳兵衛を演じる獅童が病気からの快復と第一子誕生の喜びを自ら語り、大喝采。ガマの妖術がみどころのひとつで、歌舞伎の世界ではガマも見得を切り、立廻りも鮮やかにこなしてみせる。大屋根の上に巨大なガマが登場するのもお約束。獅童宙乗りで葛籠抜けも披露し、最初の幕から大いに盛り上がった。普段はシャイで口数も少ない印象なのに、一度スイッチが入るとウルトラハイテンションではじけまくる。面白い人だわぁ。なにより明るくて、見ているだけでハッピーになっちゃう。

続く「口上」は海老蔵がひとりで登場し、市川宗家ならではの「にらみ」を披露。これで今年は無病息災!

Aプロの最後は九代目團十郎の生誕180年にちなむ「鎌倉八幡宮静の法楽舞(しずかのほうらくまい)」で、荒れ寺を訪ねた修験者の一行が老女に出会い、「黒塚」を思わせる始まり。海老蔵は、この老女のほか、静御前源義経、白蔵主、油坊主、三途川の船頭に化生と様々に早替りをしながら踊り分けていく。圧巻は、常磐津、清元、竹本、長唄、河東という五つの異なる流派の合奏で、様々な音が重なり合い、響き合う。その音の圧に負けない迫力が海老蔵にあるからこそ成り立つあの独特な空間をどう表現したらいいのだろう。とんでもないエネルギーを発しながら躍動する肉体。躍動しつつも、どっしりとした安定感。毎日体幹レーニングしているだけあるなぁ。すごかった。

幕間には「悲嘆の門」を読み続け、AプロとBプロの間は1時間近くあったので、だいぶ進んだ。

Bプロは「日本むかし話」の通し狂言で、自主公演のABKAIでの「花咲か爺さん」がベースになっていて、そのときと同じ宮沢章夫脚本、宮本亜門演出。他に浦島太郎、鬼ヶ島、一寸法師かぐや姫が盛り込まれていて、幼い日のかぐや姫を麗禾ちゃん! 八千代座で初お目見得をしたときにはパパに抱かれ、口をキュッと結んで無言のまま、目にいっぱい涙をためていたのに、あれから4年足らずの今月にはもう、台詞も踊りもある役をしっかりと演じ、カーテンコールでは笑顔で手を振る余裕まで。子供の成長ってすごいなぁ。パパのブログで日々頑張っている様子を見てはいたものの、生で観るとその可愛さはひときわ。

成長後のかぐや姫を児太郎、かぐや姫と相思相愛になる重信の尊を海老蔵が演じていて、かぐや姫が生まれた星に旅立った後、ひとり残されて想いを吐露する場面は、どうしたって麻央さんとダブってしまい、脚本も演出もそれを意図していないはずはないと思うとちょっとズルい気もするけど、やっぱりジンと来て、周囲にもハンカチ片手の人がたくさんいた。

ABKAIでも楽しかった鬼ヶ島の場面がさらにパワーアップしていて、面白かったなぁ。右團次の青鬼、弘太郎の黄鬼、市蔵の緑鬼、そしてライザップで痩せたことを何度となくネタにされていた九團次の黒鬼。

海老蔵が演じる犬のシロが殺された後、その遺灰で桜の木に花が咲く場面で、上手と下手の両方から桜の花びらが大量に噴射され、ほぼ中央の席だったから両方から降りしきる花びらにまみれ、ものすごかった。お隣りの人と髪や服についた花びらを取り合ったりして、それを機に少しお話をしたら、海老蔵の舞台があるたび札幌からいらっしゃるそうで、宿泊費や交通費もバカにならないから主人には文句を言われるけどこれだけはやめられない、と笑っていらした。上には上がいるわぁ。

終演後の楽屋口には早くも出待ちの人が列を作っていたけれど、それを横目に見ながらまっすぐ帰宅。右腕のしびれが悪化してきちゃって、どうやら肘がしびれの発信源らしく、そこからツーンと十数秒おきにしびれが走る。原因が分からないからどう対処すればいいのかも分からないんだけど、お風呂上がりに肘の上と下にそれぞれ冷湿布を貼り、湿布でカバーできない肘の部分にはバンテリンを塗ってみた。これで少しは治まってくれるといいんだけど。

大寒波の襲来に加え、明日は雪の予報。困ったわー。