まるぶろぐ

備忘録として日々の出来事をこまごまと綴っております

顔見世

maru992008-11-23

あっという間に霜月も終盤。芝居三昧だった先月と違って、今月の芝居は今日と明日の歌舞伎座吉例顔見世のみ。


今日の昼の部は、『盟三五大切』 と 『廓文章』 吉田屋 の2つ。『盟三五大切』 の方は、去年4月に三津五郎のご贔屓が絶賛していたので名古屋の御園座まで観に行って以来だから、約1年半ぶり。源五兵衛・三五郎・小万のトリオが御園座三津五郎橋之助菊之助から今月歌舞伎座仁左衛門菊五郎時蔵へと一世代アップし、同じ芝居なのに印象がまったく違う。優劣ではなくそれぞれに魅力があって、こんなふうに見比べるのも歌舞伎の楽しみのひとつ。


南北と言えば、因果関係が複雑にからみ合い、陰惨な殺し場がつきもので、おどろおどろしい反面、遊び心もたっぷり。大真面目な芝居の真っ最中に、菊五郎が 「僕イケメン」 と言ってのける。芸者に扮する梅枝の 「のぞいちゃやーよ」 にも笑った。小万という役は、「妲己の小万」 と悪女のように言われるけれど、三五郎に惚れぬいているだけで、決して悪女ではない。その小万に入れ込んだ挙句、自分を騙した一味のみならず、たまたまその場に居合わせた者まで殺してしまう源五兵衛が実は不破数右衛門で、最後にはめでたく義士の一員として迎えられる不条理。そこがなんだかなぁ、と腑に落ちずにいたのだけれど、「忠臣蔵はそんな綺麗事じゃない、南北はそう言いたがっていると思いますね」 と菊五郎が筋書で語っていて、あのラストをあえて入れたことにはそういう意味があるのか、とようやく納得がいった。


かたや吉田屋の方は、放蕩息子と芸者のじゃらじゃらした他愛のないやりとりを見せる一幕。伊左衛門は仁左衛門も何度となく手がけているけれど、藤十郎の伊左衛門を観てしまうと、やはりこれが決定版。こういう芝居は、芝居そのものを観ようとするのであれば、伊左衛門と夕霧とが同世代で拮抗し合う配役の方がいいのかもしれないけれど、役者で観る、つまり藤十郎の伊左衛門を観ようとすれば、魁春のように楷書で控えめな女形の方がふさわしい。


それにしても、三五郎も伊左衛門も親に勘当された見であることは同じなのに、三五郎は父のために百両を工面しようとして結果的に多くの血を流し、それでも報われずに死んでいくのに対し、伊左衛門はただ夕霧とじゃらじゃらしているだけで何の苦労も努力もしていないのに、勘当を許され千両箱がいくつも運び込まれてくる。人間みな平等なんてウソよねぇ。


最初の幕間にモツ鍋をご一緒した友人とロビーでばったり会ったので、終了後も探してみたけど再会かなわず。ちょこっと買い物してスタバに寄って、早めに帰宅。


明日も歌舞伎座。うふふ♪