まるぶろぐ

備忘録として日々の出来事をこまごまと綴っております

maru992004-09-21

伯父のイビキにうんざりしながら、喪主の挨拶はどうしようとか、やり残していることはないかとか、いろいろ考えてしまってなかなか眠れない。ようやくうとうとしかけると伯父のイビキが邪魔をする。それでも夕べよりは若干まどろむる時間があった。5時すぎにはキョウコさんが身支度を始める。生活時間帯のずれが私から安眠を奪う…。

昨日の夕食に続いて朝食もごく簡単に、インスタントのスープパスタとロールパンでガマンしてもらう。食べている間に、伯父がキョウコさんに昨日のハイヤー代を払うと言い出した。昔の人はタクシーのことをハイヤーと言う。キョウコさんは遠慮して金額を言わない。伯父はすぐに 「そうですか」 と引き下がる。どうしてこう他人の前でだけカッコつけたがるかなぁ。そもそもキョウコさんからはお香典を頂いたけど、伯父はしらばっくれたままなのだ。伯父の息子が早世したとき私はしっかり出したのに。

一応はメイクもして、レンタルした喪服を着る。ダサダサ〜。でも仕方がない。黒いストッキングもはく。会社を辞めて以来はいてないんじゃないかなぁ。

8時前に葬儀社の人が来て、埋葬許可証や斎場の使用許可証などを受け取り、手順の確認や会場設営の仕上げなど、朝からバタバタと忙しい。

ご近所の方々には9時20分集合という連絡をしてもらったのだが、8時半を過ぎるともう第一陣がご到着。9時にはご住職もいらして、お経料とお車代をお渡しする。台所から呼ばれる。暑くなりそうなので用意しておいた紙パックの冷たいお茶が足りないという。本来のお手伝いの方3人とも出られる状態ではないので、別の方に買いに行ってもらう。買物も手伝いに該当するので彼女にも5千円を支払うようにと言われた。コンビニまで行って帰って5千円。… いいけどさ。

予定通り9時半から告別式が始まる。ご住職のお経の間、第一陣のおばあちゃん達はひっきりなしに喋っている。「そこの床の間なんかちっともハァ使ってねんだよ」 とか、まったく関係ないことばっかり。伯母が親しくして頂いていた方々だから感謝しているけど、こういう時には憎らしいと思ってしまう。

お経が終わり、お別れの前に民生委員さんから送別の辞があるとの説明にビックリ。きいてないぞ。彼女は静々と棺の前に歩み出て、朗々と詩吟を唄い上げた。時折、涙で声を震わせながら。手には歌詞カード。そんなものまで準備してあったのに事前に何も話がないってどういうこと? ちょっと鼻白んだ。

棺の中に花を入れてお別れ。死化粧をした顔をみんなにきれいだとほめてもらえて、よかったね、伯母ちゃん。

出棺の時刻。私が位牌を抱き、あと2人、と葬儀社の人に言われて副組長である民生委員さんが遺影を、組長さんが花束を持ち、玄関を出る。霊柩車となる黒塗りの車に棺を安置し、私が喪主としてご挨拶。緊張したけど無事に終わる。

私は黒塗りの車の助手席に乗り、火葬場までご一緒して下さる方たちはマイクロバスへ。斎場に着いてみると、同行してくれたのは十数名だった。もともと20名前後だからなかなかの線。

炉に投じる直前に今度こそ本当に最後のお別れ。母の時は献体してしまったのでこの瞬間を経験していない。これでこの姿の伯母とは本当にお別れなんだと思ったら涙を抑えられなかった。見れば伯父も泣いている。「姉さん!」と呼びかけては嗚咽している。「そんなに悲しむぐらいならどうして生きてるうちに優しくしてあげないのよ!」と喉まで出かかる。

待合室での会食の間、ご住職の前で、民生委員さんはしきりに自分がどれだけ伯母に頼りにされていたかを語る。組長さんが私に目配せをする。だんだん憂鬱になってくる。

アナウンスがあり、骨上げ。何度見てもショッキングだなぁ。母の時は、どうしてもこの光景を見たくなくて献体に踏み切ったのだが、私も大人になったのか、冷静に骨のひとつひとつを見ることができる。

「何か入れてあげるものがあったら」 と言われて、一瞬、頭が真っ白になる。何も考えてなかった。あ、でも病院で預かった指輪が確かそのままバッグの中に … あった! ずっと同じバッグを使っていてよかった。

私が白木の箱を抱えてマイクロバスで伯母の家に戻り、初七日の代わりのお経をあげて頂きながら、再び焼香。別件のお通夜に向かうご住職を見送り、会葬の方々もお帰りになり、お手伝いの方々への寸志を支払う。お茶を買いに行っただけの人は 「とんでもない!」と辞退したけど 「決まりですから」 と受け取って頂いたのだが、しばらくして水羊羹を買ってきてくれた。「あんまり心苦しいから」 って。良心的だ〜。ありがたく頂く。

そうかと思えば、民生委員さんは、自分のダンナも受付の手伝いをしたと言い出した。でもこちらが頼んだわけじゃなし、勝手に座ってほんのちょっといただけなんだから払う必要はない、と組長さんは言い、板ばさみになってしまった。民生委員さんが私の知らないところで、FAXも使わせたしご住職の車もうちの駐車場に停めたのに、とも言っていたときいて怖くなった。今までさんざんお世話になってきたのは確かだけれど、それなりに感謝の気持ちを形にしてきたのに、そんな細かいことまで言い立てていたなんて、影でなんて言われていたか分かったものじゃない。とってもとっても感謝していただけに悲しかった。

そんなゴタゴタと平行して葬儀社の撤収も終わり、とりあえずは一大イベントが終了〜。伯父とキョウコさんと3人で、頂いた水羊羹でひと息ついたのが2時すぎ。2人とも暗くならないうちに帰ると言うので、駅まで送っていくことにする。ところがキョウコさんの靴がない。誰かが間違えてはいていったらしい。残っていた靴を持って組長さん宅に行き、一緒に回ってもらう。4件目でヒット。その方は自分は間違えていないと言い張っていたのだが、その方がはいて帰った靴を持ち帰って確認するとやっぱりキョウコさんのだった。「あれ違ったかい?」とのたまったのは、お経の間ずっとしゃべっていたひとりだ。まったくもう〜!

伯父とキョウコさんの足に合わせてゆっくりゆっくり駅に向かう。「切符の買い方が分からない」 と伯父が言うので、「来るときはどうしたのよ」 と思いつつ、伯父とキョウコさんの切符をそれぞれ私が買って渡し、改札で見送る。伯父はとうとう一銭も出さなかった。出さないことについての言い訳もなかった。徹底している。どういう神経してるんだろうなぁ。

ようやくひとりになって、ホッとする。またまた汗だくなので、お湯なんか出ない風呂場で水浴び。着替えも終えて、はぁ〜、とたたみに大の字になると、帽子が目に入った。伯父のだ。忘れ物。どこまで面倒かけるんだ〜! とそこへまた民生委員さんが来た。身構えてしまう。

自分としては精一杯できる限りのことをしたつもりだけれど、自分と組長さんが遺影や写真を持ったことで、親族のような顔してでしゃばってると陰口を言っている人がいるって、そんなこと私に言われても〜。適当に話を合わせて、飲み残したお茶を進呈してお引取り頂く。はぁ…。

身体が重く感じて、のろのろとした動作で荷物をまとめる。白木の箱のほかに大きな紙袋が4つ。4時半すぎに I さんから近くまで来ていると連絡があったが、とにかくこの辺は細い路地が多くて、最新型のカーナビでも歯が立たず、探しに出て若干のマラソン。ぜいぜい。

今日はゴタゴタが多かったから、I さんの顔を見ただけで涙が出そうになっちゃった。ついついハイテンションで喋り出したら止まらなくなってしまった。うるさがりもせず、ただ聞き流すのでなく受け止めて返してくれる I さんに感謝。ちょっとだけ渋滞してたけど1時間半ほどで私の自宅に到着。疲れているだろうから、とお茶も飲まずに I さんは帰り、まずは白木の箱と遺影と位牌を飾ってお線香を上げる。伯母ちゃん、しばらくはここが伯母ちゃんのうちだよ。

お風呂でのんびりしたけど、疲れがとれない。明日はマッサージにでも行ってこようかなぁ。

長い長い1日だった。今後も伯母の家の始末だのなんだので民生委員さんに頼らざるを得ないことを思うと頭が痛い。でもまぁ、とにかく葬儀は終わった。後のことはまた後で考えよう。まずは休養せねば〜。