まるぶろぐ

備忘録として日々の出来事をこまごまと綴っております

maru992004-09-20

伯母の遺体と枕を並べた状態で、日付は19日から20日へと変わる。何度も泊まった場所なのに得体の知れない違和感がある。冷蔵庫の音はこんなに響いたっけか。かすかな物音にもびくついてしまうのはなぜだ。伯母のあの苦しげな呼吸の音がまだ耳についていて、今も続いているような気がする。
1時半、2時半、3時半、やっぱり眠れない。4時半すぎにようやくうとうとと … したのに電話の音で目が覚める。伯父だった。「今起きたのか」 まだ寝てないってば。ケータイの時刻表示を見る。5時40分。あのなぁ…。「やっぱり今日行くよ」 あぁ、もう勝手にして。あ、でも伯父がいれば留守番をさせて外出できるぞ。「じゃあ昼前に着くから」 と電話は切れて、再びうとうとしたのにまた伯父から電話。「駅からどう行くんだっけ」 あぁ頭が痛くなる。怒りを抑えて道順を説明する。早く眠りに戻りたい。だがまどろむ暇もなく玄関に声がする。民生委員さん。若干の打ち合わせをする。まだ7時前。お願いだから少し寝かせて。…祈りもむなしく、20分もしないうちに焼香の人が。ありがたいけど、みんな朝早すぎだってば〜。その後も次々に人が来るわ電話はかかってくるわでもう寝るのはあきらめるしかなかった。

伯母の50年来の友人であるキョウコさんからも電話が来て、やっぱりどうしても参列したいから今晩はそちらに泊めたほしいと言う。無理をしてまで来て下さるその気持ちがうれしい。それに伯父と2人じゃ気詰まりだし。キョウコさんも道が分からないと言うので、電話をもらって私が駅まで迎えに行くことにする。

10時半から納棺の儀。宗派をきかれる。宗派によってやり方がまったく違うそうだ。うちは日蓮宗。まず 「逆さ水」 を用意。2つの手桶に水を入れ、お湯を足してぬるま湯にしたもので遺体を拭き清める。続いて手甲脚袢の旅支度。菅笠に杖と草鞋もつき、紐は堅結びを2回で、2回目は縦結び。三途の川の渡し銭として、本来は1文銭6枚で6文銭を入れるところ、今は不燃物を棺に入れることはできないので、1文銭6枚の絵と代わりの1円玉6枚を袋に入れ、手の近くに置く。1円玉は唯一燃える硬貨なのだそうだ。もうひとつの袋には生米。これがあの世での食事になると言われ、伯母が何も食べられなかったことを思うと胸がつまる。着替えが終わると、顔のうぶげを剃り、髪をヘアクリームでまとめ、死化粧を施す。化粧をした伯母なんて見たことがないから、ファンデーションを塗っただけでひどく新鮮。何十年もしたことがなかったであろう口紅までさしてもらって、伯母は別人のように生き生きとした顔になった。本人はきっと照れくさがっているだろうな。古式湯かんの終わった遺体を棺に納めて納棺の儀は終了。

伯父から電話が入り、駅に着いたけど道が分からないと言う。はぁ…。疲れがどっと増す。説明している途中で電話は切れてしまい、二度とかかって来なかったのだが、とりあえず伯父は到着した。「クリーニング屋のおばさんに教えてもらった」 と伯父は言った。だが実際は、クリーニング屋さんに玄関先まで連れてきてもらったことが後で分かる。変な見栄はるなよ〜。

葬儀社の人が来て告別式の会場設営が始まる。私が打ち合わせで忙しくしている間に、「空気を吸ってくる」 と伯父は出て行ってしまった。不安がよぎるが構っている暇がない。すると案の定、30分ぐらい後に電話が鳴った。まったく知らない場所のお店からで、伯父はまた迷ったのだった。たまたま居合わせた向かいのご主人に代わって聞いてもらうと、伯父はとんでもない方向違いのところにいて、帰り道を説明しても埒が明かず、結局ご主人が迎えに行かねばならなかった。「二度と伯父さんをひとりで外に出すな」 と言い渡されてしまった。カンベンしてくれよなぁ。

伯父はどうやら、私が疲れているだろうから、とスタミナドリンクを買いに行ったらしい。「あとで飲めよ」 と冷蔵庫にたくさん入っていた。それは優しさなのか体裁をつくろっているのか、頭の中がいっぱいいっぱいで、もうわけが分からない。

設営が終わったのは3時半頃。キョウコさんが着くのは6時頃のはずだ。喪服用の靴を調達しなくちゃいけないし、汗だくだからさくっと銭湯に入って来たい。万一キョウコさんが先に着いて連絡があった場合の待ち合わせ場所を伯父に伝えて、いつ電話があるか分からないから一歩も出ずに家にいるようにと言い含め、急いで用足しに出る。

まずは再びドコモショップに充電を頼み、靴とストッキングのほかに銭湯用に100円ショップでタオルも調達し、ケータイを受け取って銭湯へ。今でもこんな古い銭湯があったのか、とビックリするぐらい旧式で、シャワーなんかない。お湯はメチャメチャ熱い。それでも汗を流して番台で買ったミニシャンプーで髪を洗い、熱い熱いお風呂にガマンして入ると、はぁぁぁぁぁ、気持ちいい〜。

さっぱりしたところで伯父に電話を入れると、キョウコさんがもう伯母の家に着いていると言う。「俺がちゃんと説明してハイヤーで来たんだよ」 と伯父は威張って言ってのけたが、これがまた大嘘だった。自分が迷った道を説明できるはずもなく、伯父は向かいのご主人に説明を書いてもらって電話口で読んだだけなのだ。それを私には隠して、隠しきれたと思っている。なんなんだ、コイツは。

いろんなことがあったから時系列におさまらないな。午前中に民生委員さんからお呼び出しがあった。この辺りには組制度というのがあって、組内の葬儀には組長の指揮のもと組員が手助けをして、その代わり手伝いの人1人につき1日5千円を払う仕組みだと説明された。今期の組長は伯父を迎えに行ってくれたご主人のお宅で、副組長が民生委員さん。組長ご夫妻と副組長の3人が手伝って下さるというので、平伏してお願いする。なんたって8ヶ月も無人だった伯母の家は荒れ放題で告別式の会場としては最悪の状態。とてもひとりではできない。ご夫妻は庭の草取りから庭木の剪定から拭き掃除まで汗だくでやってくれて、お茶の用意やその他の手配もすべてお三方にお任せできたのは本当にありがたいことだった。

夜に再度お呼び出し。今回は通常の手伝いとはレベルが違うので1人1日5千円では見合わないというご指摘。ごもっとも。不足のない金額を提示して下さい、とお願いして3倍の1人1日1万5千円で2日分3万円、計9万円で商談成立。そのほか伯母の組費3千円が未納だと言われ、3千円に組への謝礼金として7千円を上乗せして計10万円を支払うことになる。お礼に頭を悩ませる必要がない合理的なシステム。

ご住職にも電話をして、お経料や戒名料はいくらお払いすればいいか、ぶっちゃけ教えてほしいとお願いしてみた。20年前の母の葬儀の際には私がまだ20代だったから、ご住職は不憫がってすべてコミで20万円しか受け取ってくれなかったので、その分も加味してほしいと伝えた。今は私の経済状態もそれなりに安定しているし、伯母はお寺のことに積極的だったから、伯母が心苦しくないように、人並みの金額をお納めしないといけないと思った。その結果、「戒名料100万円、お経料は気持ち次第で」 という回答を得た。100万円かぁ … 仕方あるまい、と思いつつ念のためキョウコさんに、5年前にご主人を亡くした際の金額をきいてみたら、いやぁ驚いた。同じように提示してほしいと願い出て言われた金額が戒名料5万円だって。この差は何? 確かに母親の分も加味してほしいとは言ったけど、20年分の利息が雪ダルマ式にふくらんだのかしらん。でもまぁ、金額の提示を受けてしまった以上仕方がないので、まずはお経料として30万円を用意する。そのほかにお車代1万円。戒名料の100万円は後日ということで…。

とりあえず今日できることはここまで。私がスーパーで調達してきた電子レンジでチンの釜飯とインスタントの味噌汁で夕食を済ませる。ふと伯父が買ってきたスタミナドリンクのことを思い出して、突っぱねたままじゃ可愛そうな気がして、「じゃあ伯父さん、1本もらうから」 とビンを持って見せると、伯父はやたらと嬉しそうな顔をした。悪い人じゃないんだよなぁ…。

伯父もキョウコさんも70代後半で、そろって早寝早起きなので私だけ起きているわけにもいかず、11時前に寝る支度。伯父とキョウコさんを隣り合わせにするわけにもいかないので私が真ん中。ベッドパッドはキョウコさん、座布団3枚は伯父にそれぞれ譲り、私はたたみの上に直に寝転ぶ。

ひとり暮らし歴が長い私に川の字の真ん中はキツイ。タタミが固くて痛い。しかも伯父のイビキがうるさ〜い! そしてまた眠れぬ夜が続く…。