まるぶろぐ

備忘録として日々の出来事をこまごまと綴っております

maru992004-07-29

朝から雨。すごい雨。景色が雨にけむってるのなんて久しぶり〜と感激してしまうほどの雨。でも昼近くにやんだら途端にセミが鳴き始め、カ〜ッと暑くなってきた。まぁ、出かけるから雨よりは晴れてた方がいいけどね。

伯母の病室が変わったので、新しい病室の人たちと前の病室の人たちへのご挨拶に和菓子を買っていく。当の伯母が食べられないのがかわいそうだけど仕方がない。伯母にはその分、新しいパジャマを2組。

病院に着くと、伯母の鼻に管が通っていた。でも顔色は悪くないし、表情も明るい。ほどなく先生に呼ばれる。

確かに手術も放射線治療も難しい状況でできることは限られているし、積極的な治療をしようと思えばどうしても患者の苦痛を伴う。それでも少しでも永らえさせたいと、決定権を有する私が希望するのであれば可能な限りの措置をとるけれど、そのような措置をとっても劇的な効果を期待できるわけではない。その点を承知した上で判断してほしい、と先生は言った。

私は先生に、初めてガンと言われたときからずっと考えてきたことを正直に話した。たとえば伯母に孫がいたり、私に小さい子供がいたりして、その子の成長を伯母が楽しみにしているとか、無理にでも退院すれば自宅で打ち込める趣味があるとか、私のほかにもたくさん親戚がいて、入れ替わり立ち替わり病院を訪ねてくれて、病院で過ごす時間そのものが幸せであるとか、そういう状況なら多少の苦痛を伴ってでも、伯母の最後の時間を引き延ばすことに意味があると思う。でも、伯母の人生を私が勝手に判断するのは無責任かもしれないけれど、私の知る限り、伯母が苦痛に耐えてまでどうしても永らえたいと思う理由が見つからない。幸い今は痛みがないので、できればこのままの状態で、新たな痛みを与えることなく、すっかり慣れたこの病院で、静かに最期を迎えて欲しい、と。

つっかえつっかえ、そう話している間も、すごく自分勝手なことを言っているのではないかという不安があったのだけれど、私が話し終えると、先生は深くうなずいて、「同感です」 と言ってくれた。「僕があなたの立場だったら、同じ選択をすると思いますよ」 と。回りにいた看護婦さんたちも、同じようにうなずいてくれた。

それならば、と先生は言い、今後の方針が決まった。もしも痛みが出た場合には鎮痛の措置をするし、呼吸が苦しそうになったら少しでも楽に呼吸できるような措置をする。貧血には増血剤で対処する。でも人工呼吸器につないだり、輸血をしたり、という積極的な措置はとらない。私は了解し、人工的延命措置を拒否する意思を確認する書類に署名捺印した。

「見通しはどのくらいでしょうか」 と余命をきくと、「高カロリーの点滴を入れているので体力次第では長期に及ぶ可能性もあるけれど、おそらくは8月か9月じゃないかな」、という答えだった。8月か9月…。要はいつそのときが来てもおかしくないということだ。

「最期のときに間に合わないかもしれないのが心配で…」 と言ったら、先生は、「これだけしてあげていて、それが十分、伯母さんに伝わっているのだから、最期の瞬間に間に合うかどうかなんて問題じゃないと思いますよ」 と言ってくれた。その言葉に気持ちがす〜っと軽くなった。

お礼を言って退室しようとしたら、「もう少しここにいてもいいよ」 と先生が言う。私が泣き顔だったから。でも看護婦さんたちが忙しそうなナースステーションにいてもじゃまになるだけなので、「顔を洗ってきますから大丈夫です」 と答え、「くれぐれもよろしくお願いします」 と深々と頭を下げて退室し、洗面所へ。うわ〜っ。目も鼻の頭も真っ赤だ〜。顔を洗おうとしたらまた泣けてきてしまい、しばらく病室に帰れなかった。

看護婦さんが伯母の点滴を調節しているすきにバッグから化粧ポーチを出して、とりあえずごまかして病室に戻る。伯母はそれほどハッキリ見えているわけではないので、声さえ元気にしていれば大丈夫。

食事の相談にあらためて先生のところへ。食べても吐いてしまうので、1000カロリーもある点滴だけで過ごしているため、伯母としては回りの人が食事の間、つらくて仕方ないらしい。「今日はお寿司はないの?」 ときかれ、「食べられないでしょう」 と言ったら、「少しなら大丈夫よ」 と言っていたことを先生に話すと、何度も看護婦さんたちとそのことを話し合っているそうで、先生としては食べさせてあげたい、でも看護婦さんたちは実際にすぐ吐いてしまう現場にいるので、もし吐瀉物が気管に入ったら、と思うと怖くて食べさせてあげたくてもできない、というのだった。でも、もし食べてみて、やっぱり吐いてしまうと分かれば伯母自身が納得するだろうから、とりあえず重湯をあげてもらうことにした。

再び病室に戻ると、伯母が突然むせ返り、口からゴボゴボと泡を吹いた。一瞬、身体が凍る。足がすくむ。我に返ってタオルで拭こうとしたら、またゴボゴボと吐いたので、あわてて看護婦さんを呼びに行った。吐ききれない痰がたまっていたらしい。看護婦さんが冷静に対処してくれて、伯母は大きく息をついて、「あ〜驚いた」 と間延びした声で言った。驚いたのはこっちだよ〜。8月9月どころか、今すぐに逝っちゃうんじゃないかって。

伯母はコーヒーが好きで、今日も伯母が飲みたいというから、飲み込めるのかどうか不安だったけど缶コーヒーを買ってきて、ストローで飲ませたら美味しいって喜んだんだけど、看護士さんに 「コーヒーは刺激物だからやめた方がいい」 と言われてしまった。でも先生は、コーヒーの刺激物ぐらいで容態に影響しないから、好きなものは飲んだ方がいいよ、と言ってくれた。「僕も酒やめろって言われたら暴れるもん」 という先生の言葉に、伯母が笑う。楽しい先生で本当によかった。

7時半すぎに病院を出て、9時すぎに家に着いて、お風呂で一息ついてから張り切って仕事をする気でいたんだけど、歌舞伎専用の掲示板に歌舞伎史に関わる質問が投稿されていて、手持ちのデータを調べながら解説の返信を入力するのに小1時間かかってしまった。なのにいざ投稿しようとしたら、「メッセージが長すぎます」 という無情なエラー表示とともに、投稿の内容がきれいさっぱり消えてしまった! 大ショック! すぐに再び入力する気力は残っていなかったので、明日にお預け。くすん。

先生や看護婦さんたちの賛同を得て安心したのか、重大な決断をしたことがプレッシャーにならず、「本当にこれでよかったのか?」 という迷いもなく、かえって気持ちに一区切りついたような気がする。いい病院に恵まれたなぁ…。