正午からホットヨガ。男性インストラクターのヨガフローリラックス。手の動きが指先までとても優雅な方で、バレエをやっていたりして、と思うほど。ご本人にきいてみる勇気はまったくないけども。
帰宅後、いつものように洗濯機を回しておいてどこかでランチでも … と思ったけれど、なんだかまた出かけるのが面倒になってしまい、ランチは適当に済ませる。
明日はニャンドゥティのワークショップで、リースを仕上げたあと、次に何を作ろうかと考えてみたものの、手持ちの型紙でまだ未使用なのは2つしかなく、1つはシンプルな丸いドイリーで、もう1つは先生のそれはそれは美しい作品を見せていただいたことがある大きなドイリー。そちらの型紙はA4サイズの紙に入るように縮小されていて、どのくらい拡大すればいいか分からなかったので保留することにして、小さな丸いドイリーに型紙通り108本の糸を張る。
土台を張り終えたあと、型紙には円の中心部分に模様がなく、なにか入れたくなって、どんな模様がいいか、試行錯誤。
チクチクしながら、モンテカルロの準々決勝戦を見ていたのだけれど、クレーコートの赤土が画面上では彩度が高く、テニスボールがよく見えない。画質調整で様々に調整してみたものの、やっぱり見えにくくて、そのうち見るのが疲れてしまい、断念。
「季節のない街」の第2話は「親おもい」。原作でも胸が痛くなった話。仲野太賀さんが演じるタツヤには、母親(坂井真紀さん)に金の無心をするときだけ帰ってくる兄がいて、母はその兄を溺愛し、タツヤの思いは届かない。母親に罵られ、茫然自失する場面の太賀さんの表情がなんともいえない。「お兄ちゃんはやさしい」と母親が言う。私の母もそうだった。素直に思いを口にできない私と、たまに帰ってきて母親が喜びそうなことばかり言う兄。そうした遠い昔の苦い思いが蘇った。
原作では、兄は自動車事故に遭い、生死が不明なままで終わるのに対し、クドカンさんは暴力団と大物政治家のつながりを匂わせたあと、選挙演説の場で兄が刺されるという現実の事件を想起させるギリギリのラインを攻め、さらに兄の命に別状はなく、タツヤの苦悩が今後も続くであろうことを思わせるエンディング。痺れる。
ドラマの次の回はどうやら映画で強く印象に残っている「プールのある家」の父子の話で、これまでの2話の間に時々映っていた「街」の情景からすると、父のほうを演じるのは又吉さんらしい。楽しみ。
お風呂の中でもずっとこの話の余韻に浸っていた。遠い日々のことを含め、あれこれと考えざるを得なかった。
そんな今日の写真は、明日のワークショップに持っていくニャンドゥティのリースを布からはがす前の裏側と、完成図。今回は、新しい糸で始めるときも糸が終わるときも裏側に糸が残らないよう表だけで進めていったので、裏側はかつてないほどシンプル。