まるぶろぐ

備忘録として日々の出来事をこまごまと綴っております

葬 儀

喪服でバスに乗り、ご一緒するお二人と合流して成田線で新木へ。亡くなったOさんが暮らしていた施設を通り過ぎた先にある教会に着くと、以前、施設を訪ねた際にお会いした甥っ子さん(と言っても私より年上)が迎えてくれた。

普通の住居のような小さな教会で、20人前後でほぼ満席。職場関係の参列者は私たち3人だけというのも、あまり多くは入れないからだと納得。

告別式は賛美歌「慈しみ深き」で始まる。キリスト教での告別式に初めて参列したときには「この状況で歌うの?!」と驚いたけど、今回はもう心構えができていたので大丈夫。終了までの間に4曲歌うことになる賛美歌のうち、メロディを知っているのはこの最初の1曲だけだった。

牧師さんのお祈りに続く「思い出の言葉」の2人目が私の番。1人目の教会関係者の女性は、何も見ずに、自分とOさんのつながりやOさんの思い出を語っていらしたのだけれど、私はOさんに語りかける形で弔辞のドラフトを用意していただけで自己紹介も考えていなかったので、しどろもどろに簡単な自己紹介をしてから原稿を読み上げさせていただく旨を前置きし、どうにかこうにか任務完了。

牧師さんのお話の中に、人間には神様が息を吹きかけたので魂があり、植物や動物には神様が息を吹きかけていないので魂がないという一節があり、植物はともかく動物にも魂はあるんじゃない? と腑に落ちなくて思わず隣りを見たら、ご一緒した方も同じ疑問を抱いたことが目線で分かった。単に解釈の問題なのかしらん。

棺の中のOさんには死化粧が施されていて、Oさんがメイクをしたところなんて見たことないから、不思議な感じ。母もそうだったなぁ、と40年近く前の葬儀を思い出す。母の死化粧は看護師さんたちがしてくれて、約2年半の入院中は常にすっぴんだったから、久しぶりに見るメイクした母の顔は、キレイなんだけど知らない人のようでもあり、照れくさそうにも見えた。あのときと同じ感覚。

教会からマイクロバスで柏市にある斎場へ。牧師さんご夫妻と私たちの他はほんの数人。食事を頂きながら甥っ子さんと話す機会があったので、ニベアを誤飲したという経緯を伺ったところ、どうやらクリームではなくスキンミルクのニベアらしい。クリームよりは納得がいくけれど、それにしても … と残念な思いは拭えない。

皆さんが拾骨室に向かうとき、私は遠慮して待合室で荷物番。骨を見るのは耐え難いから。でも … と待ちながら思う。伯母のときはどうしたんだっけ? 斎場で待っている間、民生委員の女性がご住職に、自分がいかに手厚く伯母の世話をしたかを自慢気に話していたことしか記憶になく、あとで調べたら、意外にも「冷静に骨のひとつひとつを見ることができ」たと、この日記に書いてあった。伯母のときはいろんなことがありすぎて、いつもの自分じゃなかったからなぁ、などと思い起こしているうちに皆さんが戻っていらした。教会に戻るマイクロバスで天王台の駅まで送って頂き、ご一緒したお二人と松戸で別れ、喪服のままスーパーで卵を買い、バスで帰宅したのが17時近く。

喪服を着替え、ひと息ついてから、明日の絵の教室のために「レモン&シュガーケーキ」を焼く。いつもは焼き時間の半分ぐらいで天板の前後を入れ替えるのだけれど、今回は焼き時間が焼く20分と短く、うっかり入れ替えるのを忘れてしまい、そのせいか一部だけ色が付きすぎてしまった。この焼きむらは、オーブンの買い替え時期をとうに過ぎているからなのかしらん。