まるぶろぐ

備忘録として日々の出来事をこまごまと綴っております

今年のうちに

さすがにのんびり寝てもいられず、9時すぎにはもう活動開始。

本の部屋と同じぐらいカオスな状況に陥っているのが廊下の収納スペース。上下の段にそれぞれ引き出し式の収納ケースを入れ、上の空きスペースは何年か前に突っ張り棒で2段に区切り、下の段には百均の収納ケースをいくつか並べ、小分けにしてあれやこれやを収納している。上下の収納ケースの横にそれぞれスペースがあり、そこについあれこれと押し込んでしまいがち。収納ケース以外の場所に詰め込んであるものをすべて廊下に並べ、不要なものは処分し、デッドスペースがなくなるように工夫しながら、収まるべきところに収めていく。昨日ほどには時間がかからず、午前中に片付いた。

年賀状の宛名に古い事務所名を使ってしまったのは失礼すぎるので、もう1枚、お詫びを書き添えて送ることにして、ついでにどこかでランチを、とも思ったけれど年末だし土曜日だし、絶対どこも混雑していそうだから自宅で適当に済ませてから外出。

まずコメダ珈琲のカウンター席に落ち着き、図書館で借りた薬丸岳「最後の祈り」の続きを読む。刑務官が日常的に接していた死刑囚の執行人を務め、その後、精神的に耐えかねて苦しむ様子が描かれていて、考え込んでしまった。

日本では絞首刑という形で密室で行われるのに対し、アメリカでは、先日観たオペラ「デッドマン・ウォーキング」のラストシーンのように、薬物注射による死刑執行に死刑囚と被害者それぞれの家族、警察官、検察官、弁護人だけでなくマスコミまでが立ち会い、一部始終を見守る。日本でもしアメリカ式の執行が導入されることになったら、死刑囚と被害者の家族は立ち会うことを希望するだろうか。

人権という観点から死刑には絶対反対だという友人と議論になったとき、私は、死刑囚の人権を尊重するあまり被害者の人権が蔑ろにされていると感じ、死刑廃止にはどうしても同意できなかった。今もその思いは変わっていないのだけれど、執行人の苦悩を考えたことはなかった。職務とはいえ、相手は死刑囚だとはいえ、人ひとりの命をその手で奪うことに変わりはなく、それが執行人を苦しめる。人が死ねばその遺体処理も別の誰かが行うことになる。職務だと割り切るのは難しいだろう。死刑制度の存続を支持することは、執行人にその辛い役目を押し付け続けることになる。自分では絶対にやりたくないことを人に押し付けるのは卑怯だよね…。でも、だからって簡単に死刑廃止に賛同することもできなくて、考えが堂々巡りをしてしまう。難しい問題。

キリのいいところでアリオに移動し、まずお詫びの年賀状を投函してから、ユニクロの店内を歩いてみたけれど少し前に衣類の断捨離をしたせいか何も買う気にならず、無印でスープその他の食材をいくつか買おうとしたら、明日が期限のポイントが500円分あるとのこと。ラッキー。そのあとカルディであれこれと買い込んでから、ヨーカドーの食品売場は大混雑でレジにも長蛇の列ができていたので、別のスーパーで年越しそばやお雑煮の材料を買い込み、帰宅。明日の大晦日はもう外出しないで済むはず。雨の予報だから、ちょうどいい。

録画しておいた「アンナチュラル」の一挙放送を見ながら、陰干ししておいたマフラーと同じグラデーションの毛糸で編んでいる途中の帽子の続きを編む。「アンナチュラル」が放送されたのはもう5年も前なのねぇ。第1話でコロナウイルスを扱っていて、日本で初めての感染者が診断される約2年前。先見の明と言うべきか。

陰干ししておいたマフラーは、柔軟剤なしでも十分にやわらかい手触り。帽子も編み終えた。トップを絞り、よくあるニット帽より長めにしたので、髪全体を包むようにかぶることができる。細い編み棒で編んだので目がつんでいて、あったかそう ♪

スマホだとどうも実物とは色合いが違い、同じ糸で編んだとは思えない写り方になってしまったけれど、マフラーと帽子をセットで使うといい感じ。仕上げの途中だったマフラーも編んでいる途中だった帽子も、今年のうちに完成できてよかった!