まるぶろぐ

備忘録として日々の出来事をこまごまと綴っております

六月大歌舞伎

歌舞伎座の「六月大歌舞伎」を昼夜通しで観劇。

まず昼の部は「吃又」で、中車の又平に、その女房おとくを猿之助の代役として壱太郎が演じる。最近は澤瀉屋が演じる際も音羽屋型にならっていた部分を今回は当初の澤瀉屋型に戻した演出で、いつもなら最初に百姓たちが虎退治に押しかけるところ、その前に又平夫婦が師匠を訪ねてきて、2人もいるところで虎退治が始まる。又平の眼の前で弟弟子が師匠に認められ名を許されることで、兄弟子でありながら認められない又平の苦しい胸の内を強調する意図は分かるものの、舞台上が混雑している感じで違和感のほうが強かった。師匠の北の方の代わりに下女が登場するのも澤瀉屋型で、現役の歌舞伎役者の中で最高齢の寿猿さんが元気に演じていらっしゃる。

将監館の場がいつもどおりに終わった後に、普段は上演されない「又平住家の場」がつく。これを楽しみにしていた。又平のもとにお姫様が逃げ込んできて、又平が襖に描いた大津絵の登場人物たちが絵から抜け出し、追手から守ってくれるという話。もっと上演されてもいいと思うぐらいよくできていた。だがしかし、30分ほどの短い場面なのに、その前に35分の休憩が入るのがいただけない。昼食の時間を30分遅らせてもいいから、続けて上演したほうが辺に間延びしないでよかったはず。

児雷也」は、本来は長い物語をエッセンスだけ取り出しているので、背景も何も分からず、婚約者だと知ってイチャイチャしていた二人がなぜ突然、戦い出すのか疑問のままに終わってしまう。芝翫児雷也に孝太郎の綱手。まだ若い松江が老人姿の道士なのはちょっと気の毒。最後のだんまりに松緑橋之助も出てくるけど、関わり合いが分からないままだから、ただ出るだけになっちゃうのよね。再考の余地があると思う。

昼の部の最後は「扇獅子」。左團次さんと菊五郎で「夕顔棚」の予定だったのがこの踊りに変更になった。壱太郎、新悟、種之助、米吉、児太郎の若手5人が芸者姿で現れ、踊りを披露した後、赤い毛の獅子のカツラを被り、勇壮な毛振りを披露する後ろから白い毛のカツラの福助が見守る。芸者姿の5人の着物はそれぞれに色も柄も違うのだけれど、裏地と赤の襦袢には同じ模様が染め抜いてあり、帯は5人とも博多献上で、先輩格の3人と若い2人とで柄がちょっとだけ違う。こういう工夫、いいよねぇ。児太郎は毛振りがちょっと苦手なのか、腰が伸びたまま、他の4人より高い位置でほぼ首だけで回しているように見えた。かえって首を傷めないかと心配。

昼の部と夜の部の間は1時間足らずで、夜の部が40分前に開場するので、あっという間。そのわずかな時間に地下の木挽町広場で舞台写真を見る。仁左衛門の権太の写真に惹かれつつ、男女蔵さんと男寅さんのを1枚ずつ。

夜の部は「義経千本桜」より「木の実」から「小金吾討ち死に」までと「すし屋」、そのあとに「川連法眼館」がつく。仁左衛門の権太、孝太郎の若葉の内侍、千之助の小金吾と松島屋の三代が揃う。仁左衛門の権太がもうとんでもなく魅力的。小金吾を騙して金を奪い取る悪党から子煩悩な父親へ、妻に対しても悪態を付いていたのが花道では今もラブラブな様子を見せ、勘当息子のくずっぷり、母親に甘える様子、父親への複雑な思い、妻子を身代わりに立てたあとの涙をこらえる演技などなど、緩急自在で、表情や仕草のひとつひとつが印象的で、目を離すことができない。錦之助の弥助実は平維盛も当代ではこの人の他にないというほどはまっているし、歌六の弥左衛門も、今やちょっと他の配役は考えられないぐらい。この鉄板のアンサンブルの中、壱太郎がおとくとは役柄がまったく異なるお里を可愛らしく好演し、吉弥さんの権太の女房小せんも夫への愛情が溢れ出すようで魅力的。維盛の息子の六代君と権太の倅を歌昇の2人の息子が健気に演じ、梅花の弥左衛門女房もいぶし銀の味わい。いやぁ、いいもの観た~。

「川連法眼館」の狐忠信を松緑義経時蔵静御前魁春、法眼を東蔵、妻飛鳥を門之助。それぞれに好演していたけれど、仁左衛門の舞台が良すぎてかすんでしまった印象が…。この場面は「四の切」と呼ばれ、「義経千本桜」4段目の最後という意味で、そのあとに5段目があるのだけれど、上演されたのを観たことがない。一度ぐらいやってくれないかしらねぇ。

幕間にも三日月ブローチを進めようと、小さな木枠に布を張り、三日月の形をチャコペンで描いたものを2セット用意していった。ビーズを入れる細かい作業はさすがに客席では無理なので、三日月の形に合わせて平行線の土台を張る作業を2つ分。帰宅後にビーズそ入れて仕上げる。手元にある最終形の三日月バージョンは、しゃくれも含めてまだ3つ。果たして初日までにいくつ作ることができるのか…。