昨日、和訳をスタートしたばかりなのに、いきなりお休みをして今日明日は歌舞伎座。
九月の歌舞伎座は「秀山祭」。初代吉右衛門の俳号にちなみ、その生誕120周年を記念してスタートし、最近はすっかり定着して今年で12回めとのこと。また、今年は三世中村歌六の百回忌も兼ねている。三世歌六は、初代吉右衛門、三世中村時蔵、十七世中村勘三郎の父であり、吉右衛門の播磨屋、勘三郎の中村屋、当代の歌六、時蔵、又五郎、獅童、錦之助をはじめとする萬屋の祖となった人(歌六・又五郎とその子息は現在、播磨屋)。
夜の部の幕開きは「寺子屋」で、吉右衛門の松王丸、菊之助の千代、幸四郎の源蔵に児太郎の戸浪、又五郎の玄蕃に鷹之資の涎くり、福助の園生の前に丑之助の菅秀才。隣りの女性が特に後半ずっとグスグス泣きじゃくっていたけれども、寺子屋は上演回数が多すぎて、もう泣けない。そう思ってしまうせいか、豪華な配役なのに入り込めなかった。なんかねぇ、絶叫系というか…。やたらと声を張りすぎな気がした。私のほうに受け止める体制ができていなかっただけかもしれない。観る側の体調や気分によっても感じ方って違うと思うから。
食事休憩を挟んで「勧進帳」。寺子屋のあとに勧進帳って、重くないか。弁慶を仁左衛門と幸四郎とが偶数日と奇数日に分けて演じることを知らずにチケットを取り、今夜の弁慶は幸四郎。事前に把握していれば仁左衛門の弁慶を選んだのになぁ。だって幸四郎は今回、昼の部で幡随院長兵衛も演じているのに対し、仁左衛門は弁慶一役なんだもん。体力的にハードな役だから、日替わりにすることで負担を軽減できるのはいいことだけど、毎月ルーティンのように予約しているから把握できていなかったわー。
富樫は、仁左衛門が弁慶の日は幸四郎、幸四郎が弁慶の日は錦之助。義経はずっと孝太郎が演じ、四天王のひとりに孝太郎の息子の千之助。三代揃うのを見逃したのねぇ。
とはいえ、幸四郎の弁慶も力演。以前は線が細く、顔が小さく見えたのに、今の幸四郎はそれらをまったく感じさせない。余裕と貫禄が出てきたのかな。
夜の部の最後は「松浦の太鼓」。秀山祭で松浦の太鼓といえば松浦公は吉右衛門。でも今回は三世歌六の追善なので、当代の歌六が初役で松浦公を演じる。これがとっても新鮮だった。普段は副将として脇でがっしり支える役が多く、特に最近は老け役がほとんどで気の毒なぐらいだから、若々しくおおらかな殿様の役がよく合うことにビックリ。さすが大ベテラン。
赤穂浪士のひとり大高源吾が俳句の道に通じていたことにちなむ作品で、松浦公は吉良家の隣りに屋敷を構え、なかなか仇討ちが行われないことにジリジリしていたところ、源吾の句から仇討ちの決行を悟り、そのとおりに仇討ちが始まり大興奮。又五郎の源吾、歌六の息子である米吉の源吾妹お縫い、俳諧師匠の其角を東蔵。思わず笑顔になってしまう心温まる一幕。
明日は昼の部なので、今日は早めにおやすみなさい ☆