まるぶろぐ

備忘録として日々の出来事をこまごまと綴っております

歌舞伎座

終日雨の予報ながら、まだ降り出す前にバス停へ。歌舞伎座に向かう。先月はチケットを取った日をコロッと忘れてしまうという自分でも信じがたいミスをやらかしてしまったけれど、今月は大丈夫。来月から昼夜二部制に戻るので、三部制は今月で最後。

開演前に緞帳の紹介があり、その最初の緞帳が新調されたもの。富士山の緞帳は前にもあったけれど、鶴が飛んでいるのが新しいところで、その鶴の羽にごく細く白い糸が伸びている箇所があり、普通に平織りしただけならあんなに細くはならないはずなので、スマホで撮って画面を拡大してみたら、やっぱり平織りの1目分より細い糸が入っている。あとから刺繍のように入れているのかしらん。

三月大歌舞伎の第一部は、シェイクスピアのリチャード三世に着想を得たという「花の御所始末」。1974年に帝国劇場で1回だけ上演され、本興行としては1983年の演舞場が初めてで、40年も前だからさすがに私も観ていなくて、帝劇でも演舞場でも白鸚が演じた主役の足利義教を息子の幸四郎が演じる。若い頃はとかく線が細い印象だったのが今ではこうした骨太な悪役も違和感がなく、むしろ悪役のほうが魅力が際立つように感じる。染五郎も、特に台詞に幼さが残っていたのが今回の左馬之助はもうすっかり大人びて、ますます今後が楽しみ。義教の悪を強調しようとするあまり、他の役がないがしろにされているようで、もったいないと思う場面が少なくなかったけれども、たまにはこういう異色作もいい。

第二部の開場までタリーズで読書でも、と思って木挽町広場に降りると、タリーズはあいにく満席。開場は開演の40分前で、第一部の終演から30分しかないので、舞台写真を選んだり、他の売店を覗いたりしている間に開場の時間。

仮名手本忠臣蔵」の中では上演回数が極端に少ない十段目「天川屋義平内の場」。討ち入りを目前にした赤穂浪士のために武具を調達した廻船問屋の主人、義平を芝翫、その妻を孝太郎、由良之助を幸四郎。冒頭に出てくる丁稚を男寅くん。義平の忠臣に報いるため、その屋号にちなんで「天」と「川」を合言葉にすると由良之助が言い、義平が嬉し涙に暮れるという場面があって、赤穂浪士の合言葉って「山」と「川」じゃなかったっけ? と思って調べてみたら、芝居としての作り事みたい。こういうところにも作劇の工夫があるのねぇ。

「身替座禅」では、松緑菊五郎の代役で右京を勤め、奥方を鴈治郎、太郎冠者を権十郎、千枝佐枝を新吾と玉太郎。花子に会いに行く算段を奥方に阻まれ、気落ちする場面などの表情が良かった。隣りの席は小学生の女の子で、浮気の話だからどうかしらん、と思っていたのだけれど、特に最後、奥方にバレて右京が逃げ惑う場面では声を上げて笑っていた。舞台にも彼女の楽しそうな笑い声が届いたかな。

再び木挽町広場に降り、歌舞伎茶屋で隈取りカレー。ご飯物は満腹になりやすいせいか、第三部の「髑髏尼」は初めて観ることもあり楽しみにしていたのに、途中でちょっと意識が飛んでしまった。1962年に歌右衛門が演じたことがあるだけで、2回目の上演。平家の残党狩りで平重衡との間に生まれた愛息を源氏の武士に殺され、その髑髏を傍らに置いて過ごす尼を玉三郎。頼朝は、自分自身も弟の義経も粛清されずに生き延びたおかげで平家を滅亡させたから、平家に同じ機会を与えないよう、徹底的に粛清したのかしら。源氏のこういう側面ってあまり描かれていないよね。

醜さゆえに鏡を見てはならないと母親に言われて育ち、初めて井戸の水に映った自分の顔に絶望し、美しい尼に恋い焦がれる鐘楼守を福之助。新派に移った河合雪之丞も尼の一人で出演している。やっぱり春猿と呼んだほうがしっくりくるなぁ。

玉三郎が尼の姿で無惨に殺されてしまった後、美しい花魁の姿で登場するのが最後の「廓文章 吉田屋」。愛之助の伊左衛門は、ちょっとツンツンしすぎかな。わざとツンツンしながらも、もうちょっとやわらかい風情がほしいところ。喜左衛門を鴈治郎、その女房は上村吉弥さんが休演で、第一部でも義教をはじめ3人の男に愛される女を演じていた千壽が代役。こういう抜擢を経て徐々に大きな役を手にしていくのだろうなぁ。

20時半頃に終演し、1時間ほどで帰宅。そのあと TVerで、フィギュアスケートの男子ショートプログラムとペアのフリープログラム。りくりゅうペアが金メダル! そして年間グランドスラム! すごーい!!