まるぶろぐ

備忘録として日々の出来事をこまごまと綴っております

六本木歌舞伎

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シアターの入口で電話をかけていたのは…志の輔さん? マスクをしていらしたけど。

以下、ネタバレ注意。

幕が開くと、海老蔵渡辺綱と右團次の鬼(茨木童子)との立ち廻り。羅生門なのに茨木童子? と不思議に思っているうちに場面は変わり、舞台の上には荒れ果てた羅生門に死人の山。でも本来の「羅生門」のストーリーはどこへやら、忠臣蔵七段目の趣向もあれば、綱の他に老婆やジャージ姿で素顔の海老蔵本人をくるくると早替わりで演じ続ける海老蔵が最後に扮するのは「暫」の鎌倉権五郎。

要するに「羅生門」の歌舞伎化ではまったくなくて、三宅健を迎えて何ができるか、どうしたら観客に喜んでもらえるかを海老蔵三池崇史監督とがあれこれ考えて、歌舞伎になじみのない三宅くんのファンも退屈しないように工夫した結果なんだと思う。七段目の趣向の場面で、普通に歌舞伎調に台詞を言う綱の家臣に、中居が「何を言っているのか分からない」と現代語で説明させるのも、歌舞伎になじみのない人への配慮だろう。そもそも通常どおりの歌舞伎作品にするつもりなら、三池監督を起用する意味も三宅くんをゲストに迎える必要もないわけだしね。これまで一度も歌舞伎を観たことがない三宅くんのファンの中に、歌舞伎座にも行ってみようと思う人がいるかもしれないし。

歌舞伎座で今日のような舞台はあり得ないけど、これはこれで、エンターテインメントとしては十分に成り立っていたと思うし、実際、チケットもようやく二階席が取れたくらいに盛況で、カーテンコールも大盛り上がりだった。国立劇場が芸術的な意味で非常に有意義な公演をしていても、気の毒なくらい入りが悪いのとは対照的。

行きの車内で、歌舞伎役者の中で三階さんと呼ばれる人たちが次々に廃棄していて危機的状況とのニュースを見たばかりだったこともあり、いろいろ考えさせられた。

そろそろ北千住。帰宅したら、英訳の修正に専念する予定。