まるぶろぐ

備忘録として日々の出来事をこまごまと綴っております

maru992017-08-24

今日は歌舞伎座。駅まで歩こうとして、でもすぐに汗ばんでしまいそう、と思い直してバス停へ。雨の連続記録が途切れた途端、いきなりの猛暑で、身体がついていかないわー。

三部制の納涼歌舞伎を朝から晩まで通しで観る。

第一部の初めは「刺青奇遇(いれずみちょうはん)」。勘九郎時代の勘三郎玉三郎とで初めて観たとき、泣けて泣けて仕方がなかった想い出の舞台。それを今回は玉三郎の監修のもと、七之助と中車の顔合わせ。泣けなかったんだなぁ、これが。まったく。もっとしみじみと心に染み入る作品だったはずなのに。お仲と半太郎との仲睦まじい場面とかなかったかしら。単に私が中車に対して苦手意識があるからかなぁ。親分役で染五郎が出てきた時、中車と染五郎の役が反対のほうがよかったんじゃ、と思ってしまった。

続いて踊りが2本。勘太郎くんの愛らしい「玉兎」と、猿之助勘太郎が夫婦を演じる「団子売」。猿之助のちょっとした仕草や表情がとても魅力的。

第一部はこれでおしまい。終演の約50分後に第二部の幕が開く。弥十郎が父好太郎と兄吉弥の追善として「修禅寺物語」の夜叉王を演じる。これも富十郎の夜叉王で初めて観た時、死にゆく我が娘を前にその顔を筆で写し取ろうとする面作り師の執念に背筋が寒くなるような空恐ろしさを感じたのをありありと覚えているのだけれど、その場面で今回は笑いが起こってしまった。時代なのかしらねぇ。弥十郎だけでなく、猿之助の姉娘も新悟の妹娘も巳之助の娘婿も、勘九郎の頼家も萬太郎の家来も、それぞれに良かったのに。

ここで雰囲気がガラリと変わり、猿之助染五郎の「弥次喜多」コンビが繰り広げる珍道中の第二弾。今回は猿之助も脚本と演出に加わり、歌舞伎座での四の切という劇中劇の最中に殺人事件が起き、謎解きが始まる。舞台の端に設置された写真の照明装置が劇中劇の雰囲気を盛り上げていた。

上手の揚幕がカマキリのマークなのが面白いと思ったら、座長が中車の「釜桐左衛門」で、昆虫のCMやEテレの番組でもおなじみの博識ぶりを披露する。日によって昆虫の種類が変わるそうで、今日は蝶の鱗粉に関する話題だった。他にも観客の拍手によって展開を決めるという大胆な工夫もあり、随所に笑わせる工夫があって、「ワンピース」のときと同じように、何より演じている人たちがみな楽しそう。門之助と笑三郎義太夫と三味線も玄人はだしだし、見どころ満載で、楽しかったぁ。

第三部の開幕は第二部の終演の55分後。話題の「野田版 桜の森の満開の下」。20代の頃、手当たり次第にいろんな劇団の芝居を観ていた時期があり、夢の遊眠社もトライしたのだけれど、早口で台詞をまくし立てるスタイルに馴染めず、それからずっと敬遠していた。だから「贋作 桜の森の満開の下」も観ていなくて、今回はあえて予備知識を入れずに白紙の状態で臨んだのだけれど、「ねずみ小僧」や「研辰」などのこれまでの「野田版」歌舞伎はあくまで既存の歌舞伎作品に軸を置いていたのに対し、今回は「贋作 桜の森の満開の下」の歌舞伎化で、台詞を歌舞伎調にするなどの工夫がなされたそうだけれど、やはり私が苦手だったスタイルがそのままで、正直、こっちの路線に来ちゃったのかぁ…という思いがした。途中までは。

七之助の夜長姫がおそろしく良くて、最後の場面ではすっかり魅入られてしまい、この場面を観ることができただけで充分だと思った。

歌舞伎座の客層は当然ながら、当時の遊民社の客層よりずっと高いはずで、早口の台詞についていけなかったのは私だけではなく、「ほとんど聞き取れなかった」という声も耳にした。野田さんならではの言葉遊びは、好きな人にはたまらない魅力なのだろうけれど、やはり台詞って届いてこそだと思うのよねぇ。

全体が消化できていなかったので、帰宅後にネット上の「青空文庫」で、野田さんの作品のもとになった坂口安吾の「桜の森の満開の下」と「夜長姫と耳男」の両方を読み、この2つからあれだけの作品を創り上げるなんて、とその手腕にあらためて感じ入る。でもやっぱり、あえて歌舞伎として上演するからには、思い切って言葉遊びの部分を取り払い、物語の核心がもっと伝わるように工夫をしてもよかったんじゃないかしら。ただ、じゃあどこをどうすれば歌舞伎で、歌舞伎とそうじゃない演劇との違いはどこにあるのか、と突き詰めていこうとすると、途端に困ってしまうのだけれども。

それにしても七之助。すごかった〜!