朝6時すぎの寝ている間にメトロポリタン・オペラの「ヘンゼルとグレーテル」を録画し、9時には起きて「談志落語をたっぷりと − テレビ新・話の泉」を録画しながら見る。いわゆるお正月特番みたいなバラエティ系の番組はほとんど見ないけれど、こういう特別企画は大歓迎。
年賀状の返信を投函しがてらシャトレーゼに寄り、花びら餅を買ってきた。昔から大好きな和菓子。かつては宮中のおせち料理のひとつだったそうだから、お正月しか出ないのもうなずけるのだけれど、できれば一年中いつでも食べたいなぁ。
WOWOW のハリー・ポッター集中放送も3日目。「不死鳥の騎士団」と 「謎のプリンス」 を続けて見る。この作品、映画化される前に原作を読んだ人はどれだけいるのだろうか。一度でも映像化されると、原作を読む時に頭の中で主な登場人物や学校の風景などが映像に置き換えられてしまい、純粋に原作の世界を味わうことは不可能になってしまう。特にファンタジーの世界では、たとえば実在しない生き物など、小説では読者が自由に想像できるのに、映像には当然ながらその余地がない。映像化を否定しているわけではなく、これほど多くの要素を含む作品であればなおさら、まったく映像化されないうちに原作の世界にひたり、そのあとで映画を観れば2度楽しめるだろうに、と思った次第。でもこの作品は原作が未完のうちに映画化が進んでしまったから、最終巻まで自由に想像しながら原作を読んだ人はいないはずで、それはある意味、不幸なんじゃないかと思う。たとえ商業的には大成功だとしても。
さらに見ながら考えたこと。「魔法使い」って西洋だけのもの? 魔法と超能力は別物だし、たとえば陰陽師が式神を使って云々というのは「呪術」や「妖術」と言われることはあっても「魔法」ではない。気になると調べずにはいられない。で、分かったのは、「魔法」という言葉は明治以降に英語の訳語として新しく作られた言葉だということ。つまり既存の日本語には該当するものがなかったわけで、行法に則り習得したものが「呪術」で、「人にあらざる者」が使うのが「妖術」という説明にも納得がいった。サリーちゃんが純日本的な名前じゃないのも偶然じゃないのね。
コンブリオのあと、NHK の「日本の話芸」20周年スペシャルの終わりをちょっとだけ。円楽さん、なつかしい。続いて録画してあった「秘蔵映像で綴る立川談志の素顔」を見る。私が落語を聴きに行くようになったのはつい最近で、談志さんの高座を生で見たことは残念ながらない。見たかったなぁ。
… とこれだけいろいろ見ている間に、せっせと手織りをしていた1日でありました。