まるぶろぐ

備忘録として日々の出来事をこまごまと綴っております

帰り道で出会ったネコ

maru992006-07-29

いつのまにか、この日記を書き始めてから1000日を超えていた。記憶の限りでは1日も欠かさず3年強。紙の日記は続いたためしがないのに書き続けてこられたのは、テーマもポリシーもなく、ただダラダラと日常を綴っているこの日記を読んで下さるたくさんの皆様のおかげ。ありがとうございます!


さて今日は、前々からの約束どおり久しぶりに、と〜っても久しぶりに、翻訳の大先輩Oさんのお宅にお邪魔する。ご一緒したのは事務所時代にとてもお世話になったKさん。私とKさんのコンビが基本ユニット(?)で、その時によってプラスアルファのメンバーを加えてOさんを訪ねるようになってから、もう何年経つのだろう。一生賃貸生活でいいと思っていた私がマンション購入に踏み切ったのも、こうして集まった際のオシャベリがきっかけだった。


何を着ていこうかなぁ。オシャレが必要なTPOではないから、普段どおりの作務衣でいいか。Kさんから昼食は冷やし中華にしようとメールが届いていたので、箸安めになりそうな生湯葉や、他にもいろいろ買い込んだ食材その他でパンパンのバッグを抱え、つば広の帽子をかぶって鏡の前に立つと、まるで戦時中の買出しに出かけるおっかさんのような…。


駅へ向かう途中でKさんから電話が入る。山手線が人身事故で止まってしまい、振替輸送の窓口も長蛇の列で動きがとれないとのこと。あらら〜。まぁ、急ぐ必要はないので、成田線に乗り換える我孫子駅のホームで気長に待つことにして、Oさんにもその旨を連絡。読む時間はないだろうけど、と思いつつバッグに入れてきた3冊目の書評の本が思いがけないところで役に立った。ホームのベンチで読みふけっていると、再びKさんから電話が入る。「我孫子に着いたけどどこにいる?」 へっ? 成田線の4番線。「成田線は2番線ってアナウンスがあったよ」 え〜っ?! ふと見ると、隣りの隣りの2番線にすでに成田線が停まっていた。そうだった。成田線は時間によって出発ホームが違うんだった。最初に乗る予定だった成田線は確かに4番線からの出発だったのにぃ。急いで2番線に移り、Kさんと合流し、成田線に乗り込んでから出発までさらに5分以上。こののどかさが成田線らしいところ。


首を長〜くして待ってくれていたOさん。お久しぶりです〜。ちっともお変わりなく、いつもながらフットワークが軽くて元気いっぱい。Oさんとウチの母とは誕生日が同じ年、同じ月の数日違い。とはいえウチの母が生きていたとしてもこれほど元気ではなかっただろうなぁ。昭和9年生まれだから数えで72歳になるというのに、広辞苑が裸眼で読めてしまう。私がゼイゼイ息が上がりそうな坂道だって私よりはるかに足早でズンズン行っちゃう。すごすぎ〜。


Kさん持参の冷やし中華セットは、卵たっぷりの麺がツルツルとのど越しがいい。錦糸玉子は無精して溶き卵をお皿に流して電子レンジでチン。平ぺったいお皿で作るともっと薄いのができるんだけど、ちょっと深さのあるのしかなかったので千切りぐらいの太さになっちゃった。他にはキュウリとハムともやしの茹でたのを具にして、トマトとキュウリのシンプルなサラダを添え、今季初めての冷やし中華でお腹いっぱい。でもそれだけでは終わらない。ここへ来たらなんやかやと1日中、食べっぱなしになるのが常。いろんなお茶受けが次々に出てくるんだもの。


あれやこれやのオシャベリのさなかに、このところ意識することの多い喪失感の話をしてみた。なにかこう目標を失ってしまったようで、生活そのものは充実しているのにポッカリと穴があいたような…。「必ず見つかる日がくるから、焦ることないよ」 と、大先輩の言葉に、ちょっと気が楽になった。と同時に、遠い昔、20代の私に恩師がくれた言葉を思い出した。「チャンスがいつ訪れるかは誰にも分からないのだから、訪れたチャンスを確実につかめるように自分を磨きなさい。」 こんな大事な言葉をどうして忘れていたんだろう。今は充電期。道は長い … !


帰りはこれもいつもどおり、あれもこれも持って行けと薦められるのを最小限にとどめてもどっさりお土産が増えてしまい、行きよりさらにバッグが重たい。ああ、まだお腹がいっぱいだ〜。