まるぶろぐ

備忘録として日々の出来事をこまごまと綴っております

寿初春大歌舞伎

朝から歌舞伎座へ。北千住で千代田線と日比谷線を結ぶ通路にどでかい團十郎

幕開きの「當辰歳歌舞伎賑(あたるたつどしかぶきのにぎわい)」は、新年の始まりを寿ぐとともに舞台を清める意味もある三番叟を5人の若手(福之助、鷹之資、歌之助、玉太郎、虎之介)が踊る「五人三番叟」と、雀右衛門の芸者、鴈治郎又五郎の鳶頭による「英(はなぶさ)獅子」の踊り二題。華やか。

続く「荒川十太夫」は、神田松鯉さんの講談をもとに一昨年10月に初演されたもので、主演の松緑をはじめ配役のほとんどが初演時と同じなのに、猿之助不在のため堀部安兵衛役を中車。単に私が苦手だからなのかもしれないけれど、やっぱりねぇ、声も容姿も違いすぎて、十太夫切腹に臨む安兵衛を回想して「なんと凛々しい…」と心情を吐露する場面で、「凛々しくないじゃん…」と思ってしまう意地悪な私。初演時には松緑神田松鯉さん、神田伯山さんのトークショーが行われたりもしていた縁で、伯山さんが今日、昼夜ともに観劇していたそうなのだけれど、私は幕間に自分の席でずっと本を読んでいたのでちっとも気付かなかった。

昼の部の最後は「狐狸狐狸ばなし」。とある夫婦が狐と狸のように騙し合う話で、どんでん返しと思わせておいて、さらにもう1回、ひっくり返るのが見どころ。初めて観た1996年の舞台では、当時まだ勘九郎だった勘三郎、八十助だった三津五郎染五郎だった幸四郎福助という顔ぶれだった。それが今は、勘三郎三津五郎も亡く、福助も舞台に復帰してはいるものの以前のようには身体が動かない。猿之助の不在も含め、あの頃とこんなにも変わってしまったのだなぁ、と溜息が出てしまう。

今回は、勘三郎から幸四郎へ、三津五郎から時蔵へ、幸四郎から染五郎へ、福助から右近へとそれぞれの役が替わり、結末まで分かっていても十分に楽しめた。

木挽町広場に降り、タリーズでも図書館で借りた「まだ人を殺していません」を読みふけり、今月は舞台写真の売り場を素通りして夜の部へ。

夜の部もおめでたい舞踊「鶴亀」で幕を開ける。福助の女帝に、幸四郎の鶴、松緑の亀にそれぞれの息子(染五郎、左近)が従者を勤める。

続く「寿曽我対面」は、このところ若手が演じることが多かったけれど、今回は扇雀芝翫で、梅玉の工藤、魁春の大磯の虎、高麗蔵の化粧坂少将、彌十郎の朝比奈に東蔵の鬼王新左衛門とベテラン揃い。若手のフレッシュな舞台も魅力的ではあるけれど、やっぱり時々はこういう重厚な舞台が観たい。でもこれからは、そういう舞台が貴重かつ希少になっていくんだろうなぁ。

高麗屋三代が揃うだけでなく、他には誰も出演しない「息子」は、小山内薫がイギリスの戯曲を翻案したもの。白鸚が火の番をしている小屋に職人風の男(実は捕吏)が現れたとき、後ろ姿しか見えず、声で幸四郎だと思ったら染五郎だったのでビックリ。染五郎には「狐狸狐狸…」でもこんな喜劇の才能もあったのかと驚かされたのに、この作品でさらに成長を感じた。猿之助幸四郎弥次喜多シリーズに出ていた頃は、まだまだ幼く台詞も一本調子だったのに、あっという間に少年から青年となり、役者ぶりも格段に上がって、今後がとても楽しみ。

最後は右近の「京鹿子娘道成寺」。「狐狸狐狸…」のコメディエンヌぶりから一変しただけでなく、ワンピース歌舞伎で舞台を所狭しと走り回っていたルフィと同じ人だと思うと、兼ねる役者の引き出しの多さに感心してしまう。最後に鈴太鼓を手に鐘を見込む場面より前に、胸の太鼓を鳴らしながら踊る場面でほんの一瞬見せる憑かれたような表情にハッとした。

まっすぐ帰宅。一度も眠くなることなく、存分に堪能できてよかった。なんといっても先月、チケットを取っていたのに体調不良で観に行くことができなかったことがいまだに悔やまれてならないものだから…。

行き帰りの電車と幕間で「まだ人を殺していません」を読了。