まるぶろぐ

備忘録として日々の出来事をこまごまと綴っております

maru992016-08-05

起きたらすでに室温が30度超え。窓を開けてもほぼ無風。幸い仕事の在庫ははけたままなので、避暑をかねてアリオへ。まずはスタバで、「不思議な少年」の昨日の続き。

1冊読み終えたあと、上島珈琲店に移動して、久しぶりのクロックムッシュでブランチのあと、「不思議な少年」をさらに読み進む。再読の残り2冊に続き、買い忘れていた最新巻も読み終えた。これでまた次の巻が出るまで少年とはしばらくお別れ。余韻にひたりながら、考える。少年はその時々で違う名前を名乗り、最初からずっと同じ「少年」の姿で、家族や幼い日の姿などは一切描かれていない。だからこそ「不思議な少年」であるわけで、おそらく気づいたら「少年」の姿で存在していて、普通の人間のように家族と呼べる人もいないのだろう。その存在は理解されず、同族の仲間も一切存在しない。それでいて人間に興味を持ち、母親から生まれ、愛されて育つ姿を見続けるのは、辛くはないのだろうか。いや、もちろん、実在じゃないんだけれども、そんなふうにあれこれ考えるコト自体がとても面白い。

帰宅後、アリーさんの Salone を聴きながら手織を進め、斎藤さんは「残業」と呼び、アリーさんは「放課後」と呼ぶニコ動での延長タイムも聴いたあと、録画しておいた海外ドラマの中から「Suits」と「リゾーリ&アイルズ」を1話ずつ見て、さらにずいぶん前に録画した「インサイドヘッド」を見る。

脳内ポイズンベリー」と同時期だったし、ヒトの様々な感情を擬人化するという同じアイデアに基づく作品だったから、その類似性が話題になっていたのだけれど、同じなのはアイデアだけで、まったく違う世界観。前者が主人公の女性の恋愛がメインなのに対し、後者は11歳の少女が引っ越しと転校による環境の変化に戸惑う様子が描かれていて、擬人化した感情の描き方にも夢がある。といって子供向けかというとまったくそうではなくて、少女をハッピーにするのは自分の役目、と信じて疑わないヨロコビがその考え方が間違っていることに気づき、カナシミも必要なのだと理解していく。深い。原題をカタカナにすると「インサイドアウト」で、邦題とは異なっている。邦題は単に「頭の中」なのに対し、原題には、ヨロコビとカナシミとが実は表裏一体という意味も込められていると思う。ちなみに、ヨロコビ、カナシミ、イカリはそれぞれほぼ直訳だけれど、「恐れ」を意味する Fear を「ビビリ」、「嫌悪」を意味する Disgust を「ムカムカ」と名付けたセンスは悪くない。

そして手織はまだまだ終わらない〜。