夕べはついつい長風呂の後さらにまた編み物をしてしまい、またしても5時近くまで起きていたので、目覚ましは9時半にセットした。ところが例によって二度寝してしまい、実際に起きたのは10時半過ぎ。仕事が途切れると途端に怠惰になるなぁ。昨日の日記を朝のうちに書くつもりでいたのに、急いで朝食を済ませるのが精一杯。あたふたと身支度をして家を出る。
駅までの間に花屋は3軒。でも電車の中で荷物になるんだよなぁ、と考えると気が進まず、不精だけどお寺のある信濃町の駅で買うことにする。幸いいい天気。お寺は足元が悪くて、雨だと靴がグチョグチョになっちゃうのよね。信濃町の駅でバッタリ、伯母の50年来の友人で病院にも来てくれたオバサマに会う。伯母の告別式以来だ。その節は…とホームで深々と頭を下げる。「もう半年経っちゃったのねぇ。早いわねぇ」 ええ、本当に。そう答えながら、自分の中ではもう1年も2年も前のような気がしていることに驚く。
春季彼岸供養に集まった檀家さんは30人前後と少なかったので割と早く終わった。ウチのお寺ではお彼岸やお施餓鬼のたびに1本3千円の卒塔婆を立て、「○月×日ご命日、◇△○◇△○◇△○(戒名)霊、志すところ、○○△△殿」 とすべての卒塔婆について読み上げることになっている。ひとりひとりの戒名じゃなく、「○○家先祖代々、志すところ…」 というパターンもある。私だけでも今年から母と伯母と2本になったので、檀家の数が多いとそれだけ読み上げに時間がかかる。もちろん読み上げる方のご住職も大変で、時折り渡されたリストの字が読めなくて咳でごまかしたりなんかする。私が行った今日の午後の会は今回の彼岸供養の4回のうちいちばん少なかったそうで、最多だった昨日の午前の会は160人も集まり、本堂も控えの間も満杯で外にもテントをしつらえ、焼香台も通常の2つから6つに増やしたそうだ。焼香は台を増やせば時間を短縮できるけど、読み上げはそうはいかない。単純に計算しても今日の5倍以上の時間がかかるはず。そんな時に行かなくてよかった〜。
ご住職の息子さんがこの春にめでたく大学を卒業して荒行に入るそうだ。まだ小さくてマルコメ君みたいな頃から知ってるあの子がいつのまにかアゴにつんつんヒゲなんか生やしちゃって。でもさすがに息子というか、小さい頃からお父さんのお経を聞きながら育ったせいか、よそのお坊さんが助っ人にきた時とは格段に違って、ご住職のお経と抑揚がピッタリ合ってるし、声質も似てるから耳に心地よいハーモニー。やっぱり小さい頃から自然に身につくっていうのが強みなんだよねぇ、と歌舞伎の御曹司たちに思いをはせる。お経の最中に不謹慎このうえないんだけど、お題目しか唱えられないんだもん。
新たに無縁仏の供養塔と永代供養塔ができていた。その違いがよく分からなかったけど、永代供養料を払うと無縁仏じゃなく永代供養塔の方なのかな。どっちでもいいけどな。ウチも次の代がいないから確実に無縁仏になってしまう。でも無縁仏の供養塔の後ろにはすでに墓石が山積みされていて、これ以上置けそうになかったけど、卒塔婆のように古いのは護摩焚きというわけにもいかないだろうし、どうするんだろう。
そういえば伯母の納骨の際に墓石に名前を刻んでもらうように頼んで以来、お寺に行くのは今日が初めてだったんだけど、頼んだ人数よりも増えていて、きいたこともない名前もあった。おそらく過去帳を調べて全部のせてくれたんだと思う。本来は1人につきいくらって決まってるはずなのに追加料金を徴収されなかったのは割引サービスか? いちばん古い名前は、私が生まれるより前に故人となった祖父よりもさらに古くて、母より5つ年下の水子だった。母には弟か妹がいたかもしれないってことだ。もしその子が生まれて、結婚して父親か母親になっていたら、ウチの親族は無縁仏にならずに済んだかもしれないのにねぇ…。
伯母の友人のオバサマに食事を一緒にとすすめられたけど、まだおなかが空いていなかったので辞退して、でも喉は渇いていたから御茶ノ水でコーヒーブレイク。試験勉強らしくどっかり腰を落ち着けている学生が多かったので、私もついつい編み物を始めたらはまってしまい、ほんの30分か1時間のつもりが2時間以上も経っていた。ビックリ〜。編み物をしている間に回りの会話がいろいろ耳に入ってきて面白かった。「大学に4年いたってな〜んにも身につかなかったわ」 「あたしたちさぁ、こうやってダラダラしてる間に、すぐ30、40になっちゃうんじゃん?」 「コワすぎ〜!」
家で編み物の続き。ボレロの前身頃がひとつ完成♪