夕べはしっかり睡眠をとり、朝から東銀座の歌舞伎座へ。九月は例年通り、初代吉右衛門の俳名にちなんだ「秀山祭」。その座頭役だった二代目を偲ぶ意味が加わった。
昼の部は「摂州合邦辻」で始まり、吉右衛門の娘婿に当たる菊之助が玉手御前を、吉右衛門と同じ播磨屋の歌六がその父を、歌六の息子の米吉が浅香姫を演じ、玉手御前の母を吉弥、俊徳丸を愛之助。愛之助を観るのは久しぶりのような…。
寅の年、寅の月、寅の日、寅の刻に生まれた女の生き血で解毒できるという荒唐無稽な裏技(?)は一体、誰が最初に考えたのか。いろんな芝居に出てくるんだけど、観るたびに「そんな無茶な」と思ってしまう。
菊之助の玉手に、父の菊五郎を飛び越えて祖父梅幸の面影を感じた。
昼の部の後半は、夢枕獏さんの原作による「沙門空海 唐の国にて鬼と宴す」の再演。配役は、幸四郎が演じる空海の友人、橘逸勢を初演時の松也に代わって吉之丞が演じる以外はほぼ初演通り。初演がもう8年も前なので、新鮮な感覚で堪能。初演時と同様に、化け猫が取り憑いた春琴を演じる児太郎のインパクトが強くて、様々な舞台写真の中から、春琴のアップと迷った末に龍をバックにした春琴の写真と、夜の部の「勧進帳」にちなみ、従来からあるイラストの背景をメタリックにアレンジしたポストカードを購入。
夜の部の「妹背山婦女庭訓」は、「三笠山御殿」の場のほうが上演回数が多く、「吉野川」の場の前に「太宰館花渡しの場」が付くのは、歌舞伎座では2007年6月以来。日本版ロミオとジュリエットとも評される作品で、ロミオならぬ久我之助を染五郎、ジュリエットならぬ雛鳥を左近。(左近くん、顔ちっちゃ!)久我之助の父である大判事を左近の実父である松緑が演じ、雛鳥の母定高を玉三郎。愛するひとり娘の首を自ら刃をふるって斬る母の心中はいかばかりか。玉三郎の抑えた演技が涙を誘う。悲劇の元凶である蘇我入鹿を吉之丞。橘逸勢に続く大抜擢だけど、悪の親玉としてはちょっと物足りないかな。
ラストは「勧進帳」で、幸四郎の弁慶に菊之助の富樫、染五郎の義経で、バランスがいい。高麗屋の家の芸として、七代目の幸四郎は1600回も弁慶を演じたと言われ、白鸚がそれに次ぐ1162回。果たして当代の幸四郎はこれを超えるのか?
勧進帳のような古典の演目はもうすっかり「手に入って」いるとしても、先月は京極夏彦の書き下ろし、今月は新作歌舞伎の8年ぶりの再演と、いずれも主役で台詞も膨大なのに、さらに体力を要求される弁慶まで演じて、幸四郎ってつくづくタフだと感心しちゃう。また、勧進帳では弁慶の後見を今月大活躍の吉之丞が勤め、番卒にも吉三郎、吉兵衛ら吉右衛門の一門が顔を並べていた。追善の意味合いもあったのかな。
終演は21時ちょっと前。これだけ濃密な演目ばかりを堪能したあと、深夜にはガラリと雰囲気が変わる「星野源のオールナイトニッポン」。某リゾートからの生放送。歌に映画にラジオにコントと大活躍の源さんは文筆家でもあり、新しい本が発売になるそう。源さんもタフよねー。