まるぶろぐ

備忘録として日々の出来事をこまごまと綴っております

消えないで消えないで〜!

maru992007-09-19

病院の一室で伯母を見送ったあの日から今日で丸3年。伯母の入院がひとつのきっかけになって長年勤めた職場を離れ、看病に通い最終的に葬儀から何からすべてひとりで済ませるまでの間にそれはそれは様々なことが次々に起こって、積極的に身内と呼べる最後の人を失い、紆余曲折の末に私の生活も様変わりして現在に至る。ある意味、転機だったんだろうなぁ。… と感慨にひたりはしたものの、お墓参りにも行かず仏壇もただ部屋にあるだけできちんと手を合わせることもしないというていたらく。気持ちはあるのよ、気持ちは。


家を出るタイムリミットは3時半。ギリギリまで英訳の続きを進め、3時近くに中断してシャカシャカと念入りに歯磨きをして、4時の予約で歯科健診。作務衣でなくジーパンというだけで 「出かけてきたの?」 ときかれてしまう。いえいえ、これから出かけるんです。渋谷のシアターコクーンへ。「私たちは先週、ユーミンのシャングリラを観てきたよ!」 と先生、しばし興奮気味にライブの様子を語ってくれた。ユーミンは、遠い昔に1度だけ行ったなぁ。当時つきあっていた人と一緒に (いたのよ、一応)。なぜかそれきり、どんなに話題になっても足が向かない。好きなのはユーミンの曲で、歌そのものやスケールの大きなショーではないからかもしれない。中島みゆきもそう。積極的にライブに行きたくなるのは、CD以上にライブの方がいっそう歌が心にしみる人。井上陽水がそうだし、友部正人もそう。… なんてことをオシャベリしている間に健診終了〜。


ちょっと時間の余裕があるので、中途半端な時間帯だけど腹ごしらえを済ませてしまおうとアリオに向かう途中で、ぽっかりあいた空にキレイな虹が! 虹を見ること自体がとっても久しぶり。なんだか嬉しくなっちゃった。


とろさんま丼を頬張り、スタバでひと息ついてから、6時半の開場をめどに渋谷に向かう。チケットを取るのが遅かったから、中2階バルコニー席で上手の1番。いわば中2階席の中では舞台に一番近い右端で、観にくくても仕方がないと覚悟していたのだけれど、意外になんの支障もなく、1列のみで前も後ろも誰もいないので、どっぷり舞台にはまることができた。1階席に、少年隊のヒガシや高橋克実の姿もあった。他にもいたかもしれないけれど、気づいたのはこの2人だけ。


市川海老蔵が吸血鬼を演じる 『ドラクル』。彼も相手役の宮沢りえも 「喋らなければ最高」 という辛口の評を耳にしていた割には、台詞の難はほとんど感じなかった。宮沢りえのあの透明感はどこからくるのだろう。永作博美も好きだなぁ。阿佐ヶ谷スパイダースの舞台はまったく観たことがないのだけれど、長塚圭史作・演出のこの舞台、私はとても好きだった。パンフレット1800円は高いと思ったけれど、海老蔵長塚圭史のインタビューは、それぞれの考え方の違いがハッキリ出ていて面白かった。形から入る歌舞伎と気持ちから入る現代劇。なるほどと思うところも多く、海老蔵の発言は直感的でとてもシンプルなんだけど、すごく核心をとらえているように思える部分があって、やっぱりこの人ってタダモノじゃない、と思ったりもした。あの西洋風の挑発が似合っていたかどうかはビミョーだけれど、あえて海老蔵の動きを封じた長塚圭史の演出は成功していたように思う。とてもいい表情をするんだよねぇ。海老蔵宮沢りえも。


舞台の構造もよかった。ごてごてと道具を並び立てることをせず、影絵のように照明を使って、ステンドグラスの壁や豪華な絨毯をしきつめた床、あるいは敷石を照明で見せることによって、シンプルな舞台が教会や城の中、石畳の道と自由自在に変わっていく。生の弦楽四重奏を使ったのも秀逸。効果絶大だった。


それにしても、「吸血鬼は美しくなければ」 という原則(?) はどこからきたんだろう。伝説の存在だから? 聖水や十字架に勝てないという設定そのものが宗教的な存在でしかないことの証拠なんだろうけれど、吸血鬼になってしまった領主の家来が 美しくないことを理由に殺されちゃう場面はかわいそうだった〜。


7時開演で休憩をはさみ、終演は10時すぎと3時間を越える長丁場。面白かったなぁ。もう1回観たいぐらい。阿佐ヶ谷スパイダースの舞台にも興味がわく。


かろうじて日付が変わる前に家に着いたものの、それから仕事を始め、5時すぎまで。さすがに疲れた〜。