まるぶろぐ

備忘録として日々の出来事をこまごまと綴っております

ポスターから

maru992007-05-05

5時半をすぎ6時をすぎても寝つけなかった。不規則な生活がたたっている。アラームは10時にセット。やばいなぁ、と思いながらもんもんとしているうちにようやく寝入ったのだけれど、目が覚めた時、アラームが鳴っていなかった。ごそごそと目覚まし時計に手を伸ばす。レンズが入っていないのでよく見えない。えっとえっと、これは … 12時15分。… えっ?! 2時から原宿でライブなのに?! ひぇ〜っ!!


飛び起きてバタバタと身支度を済ませ、駅までダッシュ。ところが電車が行ったばかりで10分近くロスしてしまい、明治神宮前に到着したのは1時50分。クエストのロビーはいつもどおりフリーフード&ドリンクで縁日のようににぎわっていて、かろうじて巻き寿司を2切れほどご馳走になる。真っ赤なジャケットで朗らかに笑っていらしたのは渡辺真知子さん。そういえば最近イッセーさんのラジオにゲスト出演してたんだっけ。遠い遠い昔、当時つきあっていた人に誘われて彼女のライブに横浜まで行ったことがあったなぁ。客席から鎌倉の鳩サブレが贈られていたのを覚えてる。何年前かと数えてみれば、間違いなく20年以上 …。こわっ!


前から2列目、右よりの席で、イッセーさんの8つのスキットを堪能。連休中のせいか家族連れもいて、まだ小学校の低学年ぐらいの女の子がやたらと笑っていたのだけれど、たとえば若者と年配のオジサンの会話で、オジサンが昔やっていた 「運動」 は野球でもサッカーでも水泳でもなく 「左翼」。そんなオチにも彼女がゲラゲラ笑うのが不思議というか、なんだかとても違和感があった。もちろん子供を排除するつもりはないし、子供がそばにいる生活というのをしたことがないせいかもしれないのだけれど、なんかこう場違いで、大人の空間に子供が割り込んできたような違和感。


それはともかく、イッセーさんの演じるキャラクターは成長するのがすごいところで、以前、面接ネタで大いに笑わせてくれたカサイ君がめでたくホテルに就職がかない、フロントマンになっていた。スキットとしての面白さ以前に、まず老若男女さまざまなキャラクターを表情や姿勢、仕草や台詞回しでしっかりと演じ分ける身体的なベースがあって、最小限の小道具しか用いることなくパントマイムを多用しながら、ひとつひとつの世界が創り上げられ、その中でそれぞれのキャラクターが独特な物語を紡ぎだしていく。舞台上に提示されるのは20分ほどのわずかな断片であっても、その場面の前後にもそれぞれのキャラクターの時間や経験、生活や思い出の積み重ねがあることが感じられる。スキットが終わるごとに照明が落ち、イッセーさんは舞台上で衣裳を脱ぎ捨て、メイクを落として次のキャラクターに変わる準備をする。そのプロセスもすべて客席に見せているから、キャラクターが解体され、その場から消えていくところを目の当たりにしているのに、それでもイメージの中ではキャラクターが生き続け、物語は永続的に続いていく。それがすごいんだよねぇ。


イッセーさんのライブの終了後、ズブの素人が即興でスキットを演じるワークショップの公開稽古。舞台上の十数人の中から2人が椅子に座り、台本も打ち合わせもなく会話で世界を創り上げていく。年配の女性と若い男性のペアで、女性が若やいだ声で台詞を始めた途端、演出の雄三さんが遮って、せっかく年齢とともに人としての深みや厚みが増して味わいが出るのに、わざと若く見せようとするのは自分の魅力を自分で打ち消すようなものだと。「年相応に喋ってごらん」 と言われて彼女が出した声はさっきより低い。「もっとダミ声で」 と言われた後の台詞には豊かな表情があって、確かにその方が魅力的なのだった。また、年配の男性2人が呆けたように並んで椅子に座っている姿は、それだけでドラマを感じさせるのに対し、若者2人がただ座っていても、単に所在なさげに見えるだけで何もにじみ出してこない。面白かった。


ワークショップに対する総評として、イッセーさんが語った言葉が印象的だった。人前でなにかやろうとすれば当然に緊張する。昔は階段を上るようなものだと思っていて、今はここでも次はここよりもっと高いところにいこうと努力すべきなんだと考えていたけれど、今は違う。むしろエレベータのようなもので、上がったり下がったりしながら、そのときそのときドアが開いたところにいる自分を見てもらう。結局、今の自分しかないんだって。う〜ん、それでもつい少しでもうまくやろうとか、失敗したくないとか、つい考えるから必要以上に緊張しちゃうんだろうなぁ。


エストの近くで軽く腹ごしらえをして、帰り道、つらつらとまとまりのないことを考えていた。歌舞伎にしてもイッセーさんにしても、私が演劇を好きなのはやっぱり 「人」 が好きなんだろうなぁ、と。そうは思いながら、実生活はどうかといえば、在宅フリーになってからは特に人との交流が限定的になっていて、近しい人、親しい人との心地よい付き合いしかしていないことに気づく。なんというか、内側に閉じている感じ。仕事は忙しければ忙しいほど引きこもりにならざるを得ないし、趣味の世界で会うのは同じ趣味の仲間ばかりだし、子供もいないから学校関係などの付き合いもないし、もとより親族は少ないし…。社交性はない方じゃないと思うんだけど、このままじゃいけないような気がしてきちゃったなぁ。


さんざん試行錯誤の末にどうやら順調に編み進めるようになってきたエストニアスパイラル。だいぶ編み上がったところで試しに腕を通していると、あうう、ゆるゆるじゃん…。でもちょうどいいサイズまで目数を減らすと、筒編みにするために3本の棒針に分けたあとの1本あたりの目数がわずか12目になってしまい、さらにさらに編みにくい。この編み方、私には向いていないのかなぁ。


… でまた5時だしっ!