まるぶろぐ

備忘録として日々の出来事をこまごまと綴っております

maru992005-06-11

のんびり起きて、ガ〜リガ〜リと豆を挽いて濃いめのコーヒーで目を覚ます。落ち着くわ〜。今日の油絵は大泉学園で3時からだから、2時に出れば大丈夫。ひとしきりネットで遊んだ後、編み物をしたりして、ゆったりと過ごす。さて、そろそろ支度をしようかな。十分に余裕があるから、とのんびりやってたら、ありゃ、2時になっちゃう! 慌ててバタバタと家を出て、もうすぐ駅というところでハタと気がついた。筆を忘れてる! 油絵に必要な道具はほとんど経堂と大泉学園にそれぞれ置きっぱなしにさせてもらっているのだけれど、毎回きちんと洗わなくちゃいけない筆だけは別。ケーキは絶対忘れないのになぁ。取りに戻って往復20分弱。おまけに電車が行ったばかりでさらにタイムロス。すっかり遅刻してしまった。


大泉学園での油絵はずっと自習だったところ、先月から武蔵美の留学生、鄭さんが教えに来てくれている。私が描いているコーギー犬ナオちゃんの絵は、ふわふわとした毛並みの質感や立体感がちっとも出ていないのが悩みだった。それが今日は鄭さんが直接筆を入れてくれることになり、私の無難な色使いとはまったく違う大胆さで、みるみる絵が変わっていく。まるで魔法を見ているみたい。平面的で漫画チックだったナオちゃんが生き生きとして、画面から飛び出してくるような立体感。すご〜い! 感動してしまった。当然のことながらレベルが違いすぎて、いざ自分で続きを描こうとしても、鄭さんが描きこんでくれたところには容易に筆がのらない。でもせっかく大幅にグレードアップしてもらったんだから、次回はもっと頑張らなくちゃ!


鄭さんが甘いものを一切食べないのでティーブレイクを遠慮して、7時を過ぎて鄭さんがアルバイトに向かった後、お店に移って、私の誕生日をちょっと早めにお祝いしてもらった。ケーキを焼いてくれるはずだった I さんが腰を痛めてしまい、「手作りじゃなくて悪いけど」 と用意してくれたのはとってもかわいらしいデコレーションケーキ。ローソクを吹き消すセレモニーもあり、何年かぶりでまるで子供の頃に戻ったみたい。幸い私が持参したプリンケーキも上出来で、I さん、Wさんともにレシピをご所望。しっかりお店のカレーをごちそうになった後でケーキを2つ! Wさんからは、大人っぽい色合いの素敵なフラワーアレンジメントを頂いた上に、サクランボとアメリカチェリーの差し入れもあり、華やかな食卓で、とっても幸せなひととき。またひとつ年が増えてしまうのはあまり歓迎できないけれど、いくつになってもお祝いしてもらうのは嬉しいし、私の誕生日ごときを覚えていてお祝いしてくれる人たちがいることをとても幸せに思う。ついつい気持ちがはずんでケーキの写真をたくさん撮ってしまった。


「女は孤独に磨かれる」 という特集のタイトルに惹かれて買った 「婦人公論」 で、ある筆者がネットについて、こう書いている。「ひとりで部屋に閉じこもり、誰とも知れない不特定多数の人々に対して、あられもない自分の内面を吐露するとは、どういうことになっているのか。」 私のこの日記などはまさにあられもない内面をさらけだしているようなものだ。「さほどにまで人は、孤独を感じている、裏返せば他人を必要としているということなのでしょう」 と彼女は言う。私がこの日記を書いている 「はてなダイアリー」 は非公開にもできるのだが、それを公開している以上、読んでほしくて書いているわけだし、それは彼女の言うとおり、「自分を認めてもらいたい」 あるいは 「常に誰かとつながっていたい」 ということに他ならない。でもそれなら私も彼女の言うように孤独かというと、決してそうは思わないし、むしろひとりで過ごす時間を十分に楽しんでいる。決してやせがまんではなく、ひとりの時間が十分にあって、仲間とすごす時間もほどほどにある今の生活は私にはとても心地よい。そういう意味では、彼女の言わんとするところは必ずしも自分にあてはまらないのだけれど、「世界というのは、その人が感じ考えているそれが世界となっているものなのだから、世界すなわち自分をどう感じ、どう考えるかは、その人次第、その人の自由なのです。自由というのは、こういうところでこそ正確に使われるべきであって、自分が自由でないことを世界のせいにするのは、じつは話が逆なのです。」 という指摘には深く頷いた。いわゆる思春期の頃にはコンプレックスでがんじがらめになっていた私が今はすっかり自由になれたのも、自分はこれでいいんだ、と認めることで自分の世界を自分で受け入れることができたからだと思う。でも今は、親族がらみの問題も仕事のことも一段落して、これからの自分を考える時期に来ているような気がする。今の生活に不満はないのだけれど、なんというか、自己完結しているような閉塞感がなきにしもあらず。誕生日という節目を目前にして、たまにはそういうことをじっくり考えてみるのも悪くない。