まるぶろぐ

備忘録として日々の出来事をこまごまと綴っております

maru992004-12-26

クリスマスも過ぎてしまったのでデザインを変えてみたんだけど、過去の日記も新しいデザインに変わってしまうので、クリスマスにちなんだ写真がいきなり見劣りするような…。油絵と額の関係と同じなのね。額との相性次第で絵の雰囲気が変わって見えるんだよね。このデザイン、日付がイマイチ分かりにくいような気がしないでもないけど、ちょっとしばらく試運転。

今朝はケータイのメール着信音で目が覚めて、ひょっとして仕事の関係で質問をした相手からかと思って起きて確認したら、ぜ〜んぜん関係なかったのでベッドに戻り、ほんのちょっと横になるつもりが2時間以上も爆睡してしまった。いかんいかん。本来なら年末の大掃除を始めるべき時期だというのに、まずは片づけをして通常の状態に戻さないと大掃除さえできないというオソロシイ状況になっている。ひとつひとつのモノに定位置を決めて、使ったらすぐに元の位置に戻せば散らかるはずがない、と分かってはいるんだけどねぇ。その法則に反してテーブルの上に放ったらかしのあれやこれやを片付けて、棚から引っ張り出して読んだらそのまま窓辺に積んである本の山を片付けて、どんどん数がふえてしまう帯揚げの収納をイチからやり直して、もう読み返しそうにない雑誌の山を束ねて縛って1階のゴミ置き場に運んで…。ぜいぜい。

あちこちの片づけでバタバタしている間に、プリンタは黙々と年賀状を印刷。今までのプリンタは紙送りがあやしくて、目を離すと何枚か一緒に巻き込んじゃうからやたらと時間がかかっていたのだけれど、一度もトラブることなくとってもスムーズ。宛名印刷も今まではアクセスで作ったデータファイルをワードに送っていたのだけれど、フリーソフトをダウンロードしてみたら、これがまぁ使い勝手のいいこと。「様」 と 「先生」 を個人別に設定できるのも便利。これまでの勤め先が学校→法律事務所だったから、「先生」 宛てのが少なくないのよね。

ハタと気がつけば4時過ぎ。今日はすでに一等席で観た歌舞伎座の夜の部をもう一度、今度は3階席で観るんだけど、最初の七之助橋之助の 「鈴ヶ森」 と玉三郎猿之助軍団を引き連れて踊る阿国物はどちらも1回観ればいいからパス。その間、ノジマ電機に寄って、なくしたポイントカードの再発行手続を済ませ、たかがポイントカードだからその場でくれるとばかり思っていたら1週間後に郵送するというから、それまで待っていられないので、ポイントつかないのは悔しいけどプリンタの黒インクを2パック購入。他にもまだ何枚か再発行が必要なポイントカードがあるんだよねぇ。それも全部1週間ぐらいかかるのかしらん。自業自得とはいえ、やんなっちゃうなぁ。

さて、2度目の歌舞伎座はというと、いやぁ、行ってよかった。三津五郎が主演の 「たぬき」 から観たんだけど、勘九郎が登場するなり脇役なのにすごい拍手。まぁ彼はいつも拍手が人一倍多い人気者ではあるけれど、今日の拍手は意味が違う。勘九郎勘九郎として舞台を勤める最後の日。勘九郎にとっても観客にとっても特別な日。その最後の舞台となる 「桃太郎」 は、一等席で観た日に思わず号泣したのだけれど、さすがに今日は号泣とはいかなかったものの、やっぱり涙ぐんでしまった。芝居の途中に勘九郎がこれまでに演じてきた舞踊の演目をダイジェストで次々に踊る場面があって、前回の 「連獅子」 は素踊りだけだったのに、今日は毛振りもついて、しかもこれでもかこれでもかと、そんなに振って大丈夫かと心配になるぐらいに振りまくる。その気概に観客はいっそう熱くなる。幕切れに勘九郎の亡父と兄弟のように過ごした御年90歳の又五郎丈が登場し、勘九郎と向き合う場面で涙をぬぐい、勘九郎の目からも涙があふれた。言葉なんかいらない、感動的な場面だった。幕が降りても拍手は鳴り止まず、カーテンコール。昔の歌舞伎はカーテンコールなんか絶対なかったんだけど、海外公演が増えてきた昨今、珍しいことではなくなってきた。それでも今日のカーテンコールは特別に思えた。2度目のカーテンコールでは勘九郎がすっかり言葉につまってしまい、放心状態のように見えた。彼は確かに恵まれていて、苦労しらずの坊ちゃん的なところがある。でもただ恵まれているだけではこれほどまでに愛されないと思う。今日の舞台に立ち会えたことを幸せに思った。そう、勘九郎って、自分自身が楽しみながら、回りも幸せにしちゃうからすごい。