まるぶろぐ

備忘録として日々の出来事をこまごまと綴っております

maru992004-08-09

朝から外出。まずは大丸東京で、トーベ・ヤンソンムーミン谷の素敵な仲間たち展」。最終日前日の午前中だけど夏休みだから親子連れが多かった。ムーミンより先に画家としてのトーベの作品がたくさん展示されていて、ほとんどが油彩なんだけど、まるで1人の作品とは思えないぐらいにタッチや色調がまったく異なっていて面白かった。ムーミンが新聞の漫画だった時期もあるとは知らなかったなぁ。ムーミンが始まる前の風刺漫画もかなりの数があった。ペン画はどれも精密で、印刷前の原画だからホワイトで修正した跡や切り貼りの部分がそのまま残っていて、丁寧な仕事ぶりが伝わってくる。写真の中には、若き日の岸田今日子さんとのツーショットもあった。展示のあとにはグッズ売場があるのは当然予想していたけど、すっごい数だったなぁ。まずは展示の図録。あとは極力ガマンしたつもりだけど、それでも結構買ってしまった。まぁ、それも予想通りの結果ではある。

東京駅から伯母の病院へ。東武線に乗り換えてから携帯に着信があったことに気付く。病院からだった。むむむ。でも訃報なら何度もかけてくるはずのところが1回だけ。まさかとは思いつつ、こういう時に限ってザウルスは電池切れだし携帯の電池表示もあと1本だったので、アドレス帳にアクセスできなくなる前に念のため、万一の場合に連絡すべき番号だけ控えておいて、駅に着いてから電話を入れる。

なじみの看護婦さんの明るい声。大丈夫だ。伯母が私に電話をしてくれと頼んだそうで、何か買ってきてほしい物があるのかときいたら、そうじゃないけど来てほしい、と言ったらしい。安心して病院に向かう。

開口一番、「外国にでも行っちゃったのかと思った」 だって。続いて 「間に何度も日曜日があったのに」 ときた。うそだ〜っ! そりゃあ週末さぼったのは悪かったけど、7月29日に行ってるからまだ11日目。日曜日は1回だけだい。それなのに伯母の頭の中では1ヶ月ぐらいに感じているらしい。まぁ、それだけ待っててくれたっていうことなんだろうけど、私にも都合が〜。

母親は2年半も入院してたけど、あっという間に自分のネットワークを作って毎日ああだこうだと忙しそうで 「退屈なんてしてる暇ないわよ」 と言うほどだったから、私はつい安心して2〜3週間行かないこともあった。それでも意地っ張りだから絶対に自分から電話なんてしてこなかった。でも本当は文句のひとつも言いたかったのかもしれないな…なんてことを思ったりした。

伯母の50年来の友人から預かった手紙を読んで聞かせて、タクシーで連れて来るから、と言ったらとても喜んだ。それはいいんだけど、「それほどの重病人じゃないんだから外出許可をもらって外で一緒に食事がしたい」 と言い出した。重病人じゃないと思ってるのはいいことなんだけど、重湯さえ喉を通らないのに外食だなんて。ましてや伯母だけじゃなく友人の方も膝や腰が悪いのに、転んで怪我でもしたら大変だから、私1人じゃとても2人を連れて行けない、と説明して、「伯母ちゃんがもっと元気になってからね」 と言ったら 「分かった」 と素直に頷いた。

ベッドの足元に食事と排泄の記録が回覧板のように下げてあるのを見たら、1日3食のうち伯母が重湯を口にするのはせいぜい1〜2回で、1回といってもほんの2口3口。それ以上は入らないというのに、「お寿司が食べたい」 と伯母は言う。「ちょっとなら食べられる気がする」 と。食べさせてあげたいのはヤマヤマなんだけど、もしむせて気管にでも入ると大変だから、もっと元気になるまではガマン、と言うと、いかにも悲しげな顔。

洗濯をしに病室を出たところでリハビリの先生に会ったので、伯母の様子を話すと、「友達に会う楽しみができたり、対象が食べ物にせよなんにせよ、強い執着があるというのは生きる力になりますから、とてもいいことなんですよ」 と仰る。なるほど。今日は来たときから顔色がいいと思ったら、ここしばらくはとても調子がよくて、リハビリの先生が訪ねるたびに 「早くまた歩く練習できるようにならなくちゃ」 と言っているそうだ。悲しいかなその間にもガンは進行しているわけだから、過度の期待は持てないけれど、この分ならまだまだ大丈夫かも…。

5時頃には帰宅するつもりが大幅に遅れて8時すぎ。9時からようやく仕事をする。2時近くに60ページのうちのパート3を送信。あと4分の1〜。