まるぶろぐ

備忘録として日々の出来事をこまごまと綴っております

maru992004-07-23

7時すぎに起きて、わらび餅とカボチャあんを作り、6つのパックにつめて、11時すぎに家を出て病院へ。1時半頃に病院に着いたら伯母は寝ていた。いつもなら気配ですぐに目が覚めるのに、起きる様子がない。呼吸で胸が動いているのを確かめる。母親の病院へ行ってた時もそうだったなぁ。あんまり静かに寝てると不安になるのよね。

30分ぐらいしてようやく目が覚めた。「起こしてくれればいいのに」 とご不満の様子。「おねえさんが来るの楽しみにしてたんだもんね」 と隣りのおばあちゃん。

「伯父さんが来たでしょ? 何か話した?」「別に。来なくてよかったのに」ああそう。伯父との久々の対面にも何の感情も起きなかったようなので、これでもう伯父の話は永遠にオシマイ。

内科の先生との約束は2時だったけど、急な会議が入ったそうで、3時近くにようやくお呼びがかかった。先生の初めのひとことは、「新たな病気が見つかってしまったんですよ」。

最近は単に食欲不振なだけではなく、どうにか食べた物も吐いてしまうそうで、念のために21日に内視鏡検査をしたところ、食道と胃の接合部に異常が見つかり、バリウムを飲ませてレントゲンを撮ったら、その部分がぷっくりと腫れているために圧迫されて管が細くなっていて、そのせいで食べ物はおろか唾液さえも通らず、飲み込むことができない状態なのだという。

「おそらくガンだと思います」と先生は言った。今回は胃の検査まではしていないけれども、初めは胃にできたガンが食道まで上がってきたんだと思う、と。

手術は可能だと思うし、放射線治療という手段もある。何も手段を講じないとすれば、次第に衰えていくのを承知で点滴を続けていくだけ。…ショックだった。無意識のうちに一人暮らしに戻りたくないという思いがあって、それで自主的に食べないのだとばかり思っていた、と先生に話そうとして、不覚にも涙で言葉につまってしまった。でも先生に他に相談できる人はいないのかときかれて、「いません」 と断言した瞬間に気持ちがシャキッとした。うろたえている場合じゃない。私がしっかりしないと。

いずれにしても専門医の判断が必要ということで、伯母は外出できる状態ではないので、私が紹介状とレントゲン写真を持参で別の病院に行くことになった。幸い歩いて5分ぐらいのところにある病院なんだけど、外来の受付が4時半からなので、それまで待機。病室に戻ると、伯母が 「先生なんだって?」 ときいてきた。食べられない状況をどうしたらいいかっていう相談だったとごまかす。「まさか肺ガンじゃないでしょうね」「またそういうこと言う。肺炎のときもそう言ってたけど、そんなに肺ガンになりたいわけ?」 茶化しながら、ドキドキした。

今の伯母は流動食しか受け付けない。わらび餅も無駄になっちゃった。でも同室のおばあちゃんたちが喜んでくれて、伯母は毎晩、咳が出て迷惑をかけていると気にしていたので、喜んでもらえたことがうれしかったみたい。

洗濯を済ませ、病室にいるのはなんとなく気が重くて、談話室で連絡ノートに記録する。そのうち時間になったので、伯母には 「買物のついでに食事してくるから遅くなる」 と嘘をついて消化器系の病院へ。事前に連絡してくれてあったので、すぐに呼ばれた。

「ガンに間違いないと思います」 と、断言した上で、先生は言った。食道ガンの場合は開胸手術が必要になるので、伯母の年齢と体力を考えると手術は不可能だと。また、放射線治療の効果があるのは食道ガンだけの場合で、胃ガン+食道ガンだとしたら効果は期待できない。胃ガンの可能性は病理検査の結果を見ないと確実なことは言えないが、現状から判断する限り、胃ガンがないとは考えにくい。つまり、根本的な治療の手段はないと言わざるを得ない、と。内科の先生の判断よりさらに深刻な診断を突きつけられて、しばらくは言葉が出なかった。

考えられる措置としては、特殊な網のようなものを食道に入れて、食べ物が通るだけの空間を確保することだが、結局は異物を入れることになるので不快感もあるし、食べ物が逆流することも少なくないとのことだった。

とりあえずは病理検査の結果を待って、双方の先生たちが協議した上で、私に連絡をくれることになったんだけど、なんというか、見放されてしまった感じだなぁ…。もし放射線治療ということになれば、2つの病院のどちらにも設備がないので第三の病院を探すことになる。網のようなものを使う場合は今日初めて行った病院に移ることになる。何も措置を講じないのであれば、現状のまま。新しい環境になじむのが苦手な伯母のことだから、病院を移るとなったらそれだけでふさぎこんでしまうだろう。本当にガンだなんて分かったら…。先生方の判断をきいた上で、最終的な決定は私がしなければならない。重い、重い決定。

何がカナシイって、こんなときでもお腹が空くんだ、私って。昼食をとってなかったから無理ないとはいえ、なんだかなぁ。

病院に戻って、伯母の担当の看護婦さんに状況を伝える。彼女も内科の先生の楽観的な判断を信じていたので、とても驚いていた。「がんばろうね!」と私の手をとって励ましてくれた。うれしかった。

伯母はまだ 「肺ガンじゃないか」 と気にしている。「違うってば」 と、これはこれでウソではない。でもこれから伯母にたくさんたくさんウソをつかないといけないんだろうな…。

7時すぎに病院を出た。まさかこんな事態は想定していなかったし、4時前には出られるつもりでいたから水着を持参していたけれど、とても泳ぐ気にはなれなくて、買物だけして直帰。明日は油絵の教室だからケーキを焼かなくちゃ。こういう時にケーキを焼くのはなかなかツライものがあるけど、「ばらのケーキ」 を焼いていくって約束しちゃったから。

幸い 「ばらのケーキ」 は手のかからない簡単レシピで、オーブンに入れるまで30分足らず。焼き時間も25分で、助かった〜。

これから今まで以上にいろんなことがあるんだろうなぁ。でも看護婦さんに、「あまり急に来る回数が増えると、やっぱりガンなんだって思い込んじゃうから気をつけて」 と言われた。なるほど。あくまで今までどおりを装わないといけないわけね。

ずっと病気をしないできた伯母が81歳の今になってガンが見つかったのも、伯母が遺された時間をどう過ごすべきかの判断が私に託されたのも、きっと必然なのだろう。母には十分なことをしてあげられなかった。その後悔がずっとあった。その罪滅ぼしをする機会を与えられているのかもしれない。

…なんてえらそうなことを思う反面、よりによってこの暑いときにカンベンしてほしいよなぁ、という思いもあるのが情けない。今月末から来月にかけてスケジュールがめいっぱいだし〜。そんなこと言ってる場合じゃないんだろうけどね。