まるぶろぐ

備忘録として日々の出来事をこまごまと綴っております

maru992012-02-24

2日目の「観る」は演舞場の夜の部だから、ゆっくりできると思いきや、午後1時半すぎに地震があり、震度2でそれほどではなかったものの、その20分後ぐらいにいきなりパソコンのモニターがバツンと真っ暗になり、停電。ブレーカーをチェックしたら落ちていない。電気工事か何か掲示が出てたかなぁ、と1階に確認に行くと、階下で引越し作業中で、そもそもエレベータが動いているからマンション全体ではないし、何も掲示は見当たらない。それならば、とスマフォから管理会社に電話をしている最中に、階下の人が降りてきて、やはり停電していると。うちだけじゃないのね。ちょっと安心。

管理会社の手配でセコムの人が来て、管理人室の分電盤をチェックしたところ異常はなく、うちの電気メーターだけが止まっていて両隣りのは正常に動いていることを確認。原因が分からず不安なままで、もう家を出る時間。

演舞場に着いても管理会社からの連絡がなく、開演してしまうと終演時まで連絡が取れないのでこちらから電話を入れると、東電が対応中だがまだ原因が分からないと。てことは、帰宅してもまだ復旧していない可能性があるのか。参ったなぁ、とへこみつつ劇場入口に向かう途中で電話の着信。管理会社からで、大元の電源から各戸に配電する分電盤のブレーカーがひとつ落ちていて、上げたら別の部屋の停電が復旧したので、私の部屋も大丈夫なはずだとのこと。引っ越し作業中に電気設備を接続した際にショートしたらしい。地震の影響じゃなかったのね。原因が分かってよかったぁ。

今月の演舞場は中村勘太郎改め六代目中村勘九郎襲名披露。夜の部の最初は父勘三郎の「鈴ヶ森」。中村屋の舞台は快復後初めてで、完治はしない厄介な病気だときいてはいるものの、その影響をまったく感じさせない。若衆らしい優美な所作で、吉右衛門の長兵衛は貫禄充分。雲助も達者揃いで充実していた。

続いて口上。新勘九郎七之助の白塗りに対して勘三郎はほぼ素顔だったのは、息子たちを引き立てる親心か。中村屋ならではの愛されオーラが息子たちにも降りそそいで、次から次へと楽しいコメントが飛び出し、和やかで温かい雰囲気に包まれていた。お祝いの場だからか、芝雀は父雀右衛門の逝去にはふれず、橋之助は孫の襲名を楽しみにしていた父芝翫の鬘で同座。芝翫と先代勘三郎が並んで目を細めているに違いない、との福助のコメントに、うんうん、と思わず頷いてしまった。

勘九郎が踊る「春興鏡獅子」の幕開きに御年93歳の小山三さんが老女で登場。口上で仁左衛門がふれていたこともあり大喝采。先代勘三郎から新勘九郎の息子の七緒八クンまで、実に4代にわたって中村屋を支えている稀有な存在。素晴らしい。

前半の弥生は気品があり優麗だったのに対し、獅子に変わってからは動きがキビキビしすぎて、まるでサイボーグみたいだった。父子で頻繁に演じている「連獅子」ではこんなことなかったから、襲名とあって気合が入りすぎたのかも。毛振りもいつもより腰が高くて毛の流れが直線的。楽日の疲れもあったのかなぁ。

最後は三津五郎福助の「ぢいさんばあさん」。2列目で気がゆるんだのか寝落ちしてしまい、うとうとどころかぐっすり寝ちゃったみたいで、目が覚めたのは幕切れ直前。ガックリ。

さて、本当に電気はついているのか? 玄関を入ると、なにやら人の声が、と思ったらテレビがついていた。暖房器具はオフになっているのを確認したのだけれど、テレビまでは気が回らなかったなぁ。4時くらいからずっとついていたのね。失敗失敗。でもよかったぁ。停電の間、部屋にいたのはほんの小一時間だったけれど、それでも無音なのが耐え難くて電池式のラジオをつけていたぐらいで、あの状態が何時間も、何日も続くのはどれだけ大変だろうかと、今さらながらに被災地を思った。その意味では貴重な体験だったかなぁ。しっかり備えておかないといけないんだろうなぁ。