まるぶろぐ

備忘録として日々の出来事をこまごまと綴っております

思いをこめて…

maru992007-10-02

夕べはなんやかやで結局、ついためてしまった3日分の日記をアップし終わったのが朝の7時近かった。それからベッドに入り、リビングで鳴る電話の音に飛び起きたのが9時すぎ。「もしもし…」 とくぐもった声は、いつも博多で闘病中の友人の様子を知らせてくれる元同僚のもの。その暗いトーンに胸騒ぎがする。ひょっとして、また容態が悪化した? 短い沈黙の後、彼女は押し殺したような声で言った。「昨日の夕方亡くなったって…」


言葉が出ない。まさか、そんな、どうしてこんなに早く…! 厳しい状況であることは連絡を受けていた。先月下旬、妹さんが彼女の住まいを訪ねると、起き上がることもできない状態になっていて、何日も食べていない様子でさらにげっそりやせていて、即、再入院。彼女はおそらく、小さな子供を抱えた妹さんの負担にならないようにとガマンしていたのだと思う。それまで決して弱音を吐かなかった彼女の口から 「身体に毒を入れられている」 などの言葉が出るようになったと聞いて、それだけ精神的にも参っているのだろうと思うと胸が痛んだ。担当医から妹さんに、「すぐにどうこういう状態ではないけれど、覚悟だけはしておいてほしい」 と話があったと聞き、会いに行きたい旨を伝えると、身体的にも精神的にも会ってもらえるような状態ではないから見合わせてほしいということだったので、そのまま待機することにしたのだった。それでも、発表会が終わって一段落したら、お見舞いということではなく、お嫁さんの立場で一日中病院につめているわけにはいかない妹さんの代わりが少しでもできれば、と何がなんでも駆けつけるつもりでいた。そしてやっと発表会が終わって、今週中にも行くつもりでいたのに…。


容体悪化の報告を受けた時点で、それでもまだ快復の可能性を信じたい気持ちが捨てきれない一方、もし、もし万が一このまま彼女が逝ってしまう運命なのだとしたら、せめて最期は安らかであってほしいと願う気持ちも生まれていた。でもそれすら叶うことなく、心臓への負担が重く、見ていられないほど苦しそうだったと聞いて涙が止まらなかった。ずっとずっと家族のために身をすり減らしてきた彼女がどうしてこんな目にあわなければならないのか。どうしてせめて最期ぐらい安らかに逝かせてあげてくれなかったのか。そう思うとたまらなかった。


電話を切ってしばらく放心状態のあと、苦しい最期でどんなにか辛かっただろうけれど、今はもう病苦から解放されて、彼女の入院と入れ違いに亡くなったお母様に再会し、晩年には彼女のことを娘だと認識することもできなかった (あるいは認識できていてもそれを彼女に伝えることができなかった) お母様と、昔のように語り合っているのだろうと、きっとそうに違いない、そうあってほしいと考えることで少し落ち着いた。でも一緒に病院を訪ねた方に電話で訃報を伝えているうち、また少し泣いてしまった。


明日の告別式には、古巣の事務所で彼女と十数年を過ごした同僚たちと一緒に参列することになり、何度もメールや電話で打ち合わせ。朝9時に羽田に集合し、そのまま福岡空港から斎場に直行することになった。今も彼女のことを考えると涙が出そうになるけれど、悲しいかな、それでもお腹は空くのだ。何日も食べることすらできずにただひとり横たわって苦しみに耐えるしかなかった彼女のことを思いながら、ひとくちひとくちかみしめるように食事をする。彼女への思いとまったく別に、私自身の普段どおりの生活がある。こうやって生きていくのだ。こうやって生きていくしかないのだ。現時点では彼女の 「死」 は観念的なものでしかなく、思いだけがそこにある。明日になって、すでに物言わぬ彼女を前に、その肉体的な 「死」 と向き合う瞬間が怖い。


今月下旬の彼女の誕生日に間に合うように、レースのドイリーをあしらった手作りバッグを仕上げるつもりでいたのに、それももう渡せなくなってしまった。もっと早く仕上げて送ってあげればよかった…。そう思うのも私自身のエゴでしかないんだろうなぁ。


今はただ、彼女の魂が安らかでありますようにと願うばかり…。