まるぶろぐ

備忘録として日々の出来事をこまごまと綴っております

春日部へ

数日前に、中学時代の同級生のグループラインに同級生のお父様の訃報が入り、詳細のリクエストに対して情報の添付もされていた。そこで、夕べのうちに喪服その他の支度を済ませ、13時からの葬儀に間に合うように向かい、春日部駅からタクシー。

駅前のヨーカドーが今日で閉店するそうで、運転手さんがその話題を振ってきたので、遠い昔そのヨーカドーでバイトしていたと言うと、そこから話が広がって、出身中学の話まで。「もしかして同世代だったりして」と言って運転手さんが告げた生まれ年は私より8つも下だったけれど、まぁ、ほぼ同世代と言っていいのかな。

そうこうしているうちに斎場に着き、すぐにお父様を亡くした同級生と会うことができた。突然のお別れだったものの、99歳の大往生だったとのこと。独学で学んだという切り絵が飾られていて、その精緻さにビックリ。

私が早く着きすぎただけで他の同級生もじきに集まるだろうと思っていたのに、意外にも誰も来なくて、私ひとりだった。いつもなら地元の同級生たちは斎場まで車に分乗して来て、帰りは誰かしらが駅まで送ってくれたりするのだけれど、斎場でタクシーを呼んでもらい、待っている間にお花入れにも同席させていただいた。

帰りのタクシーでは会話がなかったこともあり、大勢の親族・知人に見送られる幸せな旅立ちもあれば、人知れず亡くなり何ヶ月も発見されないケースもあり … とつい考えてしまった。

母が2年半ほど入院していた病院にも、春日部駅からタクシーで通っていた。当時はまだスマホもなくて、帰るときには待合室のピンクの公衆電話でタクシーを呼ぶのだけれど、行くたび、毎回のように、十円玉を積み上げて楽しそうに彼女と話している青年がいた。ある日、私が帰る時間になっても会話が終わりそうになく、心配して「切ってもらおうか?」と言う母に、「楽しそうだし、私は急がないからいいよ」と答えたこともあった。容態が急変したと深夜に連絡があったときも、その前の前の番に病院を訪ねたときに普段とまったく変わらなかったから、たいしたことないだろうと呑気に構えて始発で向かい、タクシーの運転手さんともすっかり顔なじみで、病院に着いて降りるとき「待ってようか?」と言われ、「長くかかるかもしれないから」と断り、タクシーを見送って病室に向かうと、もう母は意識がない状態だった…。

そんなことどもを帰りの電車の中で思い出しながら、帰宅。

夜になっても、いつになくあれこれ考えてしまったりしていたけれど、中国結びに集中することで気持ちが落ち着いた。太めの紐を三つ玉のネックレスにして、細い紐の三つ玉と並べてみると、印象がかなり違うのがよく分かる。シャツの襟やVネックなど、首回りが開いているときには小さな玉のほうが可愛い気がするし、ハイネックのセーターなどに合わせるとしたら大きな玉のほうが映えるかも。

… 色がちょっと渋すぎ??