まるぶろぐ

備忘録として日々の出来事をこまごまと綴っております

maru992010-04-28

20年余り毎月欠かさず通い続けてきた歌舞伎座の私にとっては最後の日(カウンターがゼロになるのは閉場式を終えてから)。思い入れが強い分、その熱い1日を文章にしようにもどうにも筆が重く … いや、キーボードを打つ指が重いと言うべきか。

朝から雨。しかもかなりの本降り。60年の歴史にいったん幕を降ろす歌舞伎座のために降る涙雨、と言いたいところだけど、午後から晴れに向かうという予報。とはいえやっぱり着物はあきらめて、雨脚が高く斜めに降り込んでくる雨の中を駅へ向かう。

東銀座の出口から歌舞伎座の屋根のあるところまではほんのわずかな距離だから、走り込んでしまえばほとんど濡れずに済むはずなのに、その屋根の下が幕見に並ぶ人であふれ返り、まったく入り込めない。予想以上の大混雑。場内へ足を踏み入れた途端、すでに異様な熱気に包まれていて、いつもの倍ぐらい人が入っているんじゃないかと思うぐらいにものすごい人、人、人。売店からロビーのすぐ近くまで長蛇の列ができていて、何かと思ったら「めで鯛焼き」が目当ての人々。写真を買うのもひと苦労。さらにしばしお別れの豆大福を買おうと思ったら、もともと数がそう多くはないのに、「5個ずつの袋を4つ」と大量注文のオバサマ。夕方には固くなってしまうのに、と思いながらじっと待ち、ようやく私の番。ひとつだけ、とお店の人に私が言ってる横から別のオバサマが「私も5個ずつ4つ!」と割り込んでくる。幸いお店の人がクールに対応してくれて、さらに待たされることはなかった。そのあと毎月新柄を楽しみにしてきた手拭いを選んで購入。そこからロビーに出て自分の席にたどり着くまで、人の波をかき分けかき分け、人ごみが大の苦手な私はこの時点でもうすっかり人当たり。ただ混んでるだけじゃなく、みんな異様にハイテンションなんだもの。

このハイテンションは開幕後にさらにヒートアップして、拍手とかけ声の多さが半端じゃなく、まるで点呼のように全員に、しかも役者ひとりに一斉に十数人から声がかかり、タイミングも何も無視したかけ声で台詞が聞こえないこともしばしば。なんだかなぁ。かけるならちゃんとかけてほしい。「萬屋!」を「よろず〜!」 はないだろうって。

第一部から第三部まで狂言立ては全部で8つ。いずれもまさに豪華そのものの配役で、今日ある歌舞伎の底力を存分に見せてもらった。手帳にはこまかく感想を書き込んだものの、相当に長くなるのでここではおおむね割愛。

第一部の最後は中村屋父子の「連獅子」で、勘太郎七之助兄弟の初舞台こそ間に合わなかったけれどその1〜2年後からずっと見続けてきたので、「あんなに小さかったのに」とオバちゃん目線。いくら血縁だからってここまで息が合うものだろうかと驚くほどに一糸乱れぬ所作で素晴らしかった。だから拍手が鳴り止まないのも分かる。分かるけど、途中から明らかにカーテンコールの要求としか思えない状態に変わっていった。すぐに第二部が始まるから無理なのに。平成中村座などではカーテンコールが普通になりつつあるので、その悪弊なんじゃないかなぁ。

ただでさえ芝居が普段より濃厚なのに、幕間のたびにロビーが大変なことになっているので歩き回る気力が起きない。池上季実子さんとか山田洋次監督とか、すっかり梨園のお嫁さんらしくなっていた前田愛ちゃんとか、「助六」の通人に扮した勘三郎からアドリブで受賞のお祝いを受けた寺島しのぶさんとか、予想通り客席も華やか。

第三部からはお仲間と合流。最後の最後はやはり市川宗家たる團十郎助六で幕を閉めるという、こうでなくちゃ、という納得の幕切れ。いつもなら9時前後の終演が今月は45分も遅いこともあり、カーテンコールもなくあくまでいつもどおりに終わったのがよかった。そう、歌舞伎座が建替になるだけのこと。歌舞伎がなくなるわけじゃないんだから。

20数年余りの間に数え切れないほどの貴重な体験と思い出をくれた歌舞伎座を感謝の思いを胸にあとにし、記念の第三部をご一緒できたお仲間と一緒に近くの居酒屋へ。といっても席に落ち着いた時点ですでに10時をゆうに回っていたので、1時間ちょっとだけ。生ビールを片手にハイテンションで喋りまくって、帰り道ひとりになってから、終演後にすぐひとりで家路についたらきっとすご〜く寂しくなってしまっていただろうと思った。単に建替になるだけのこと、と頭では分かってはいても、やはりかけがえのない、とても大切な、特別な場所だったから。

さよなら歌舞伎座。3年後のお目見えが待ち遠しい!